2020年6月17日水曜日

いまの子供たちと生きる

まだ30代の若い知人がいる。子供も小学校入学前のかわいい盛りである。話を聞いていて、自分の子供たちの小さい頃を思い出して羨ましく思う。よく「子供は3歳までに一生分の親孝行をする」と言われるが、それは真実だと自分の経験を通して思う。私は親世代に比べれば、子育てに参加した方だと思う。おむつも代えたし、母乳を与える以外の時はミルクを作って飲ませたり、夜中に泣いた時はあやしたり。父親の気楽さか、それを面倒だとか嫌だとかは思わなかった。

歩くようになればなったでかわいいし、しゃべるようになればなったでぎこちない会話でさえ愛おしく思った。だっこをせがまれれば疲れていても嬉しかったし、むしろ疲れが癒される気がした。家に帰るのが楽しみで、家に帰る足取りが疲れて重いなどということはなかったと思う。動物園やディズニーランド、水族館や博物館等、休みともなればあちこち出掛けたし、子供が喜びそうなものなら積極的に参加した。家族旅行も味覚狩りを中心によく行ったものである。

子供が成長すれば、そんな家族のあり方も少しずつ変わっていく。中学・高校ともなれば、子供単独での行動が増えてくる。家族旅行に行こうにも、「部活」などがあって、子供との予定が合わなくなる。家族そろって出かけることも次第次第に少なくなってくる。私など、ディズニーランドへ最後に行ったのはいつだろうと思い出してみるが、もう5年以上行っていない。一緒に行くような友達もいないし、子供がいなくなると大人は(少なくとも男は)、たちまち行く機会を失ってしまう。次の機会があるとしたら、孫ができてからのような気がする。

考えてみれば、小さな子供がいるだけで、大人の男の行動範囲は格段に広がる。ディズニーランドへも行けるし、遊園地にも行ける。夏のプールも動物園も水族館も鉄道博物館にも迷わず行ける。今は行こうとしたら人目を気にしない勇気が必要だ。1回くらいは何とか出来ても、最低でも半年に1回のペースでディズニーランドに行くなんてことはできないだろう。「子供が成長したら夫婦2人で新婚時代に戻って・・・」なんてことは若い頃に抱く幻想だったと気がついた現在、随分と行けなくなった場所が多くなってしまったものである。

できなくなったこともまた多い。その最たるものはスキンシップだ。娘も身長は160㎝を超えているし、息子に至っては私とほぼ背丈は一緒だ(体重はまだ20㎏ほど勝っている!)。とてもではないが、もう「抱っこ」はできない。今でも娘と近所を散歩した時、「だぁー(抱っこ)」と言って、足元にしがみついてきた姿を覚えている。軽々と抱え上げると、小さな手を首に巻きつけてきたが、もう今では不可能である。ディズニーランドのパレード見学では肩車をしてあげたが、それももうできない。一緒に風呂に入ることも、少なくとも娘とはもうない。

息子が小学生の頃はよくキャッチボールをやったものである。自分用にもグローブを買い、軟式ボールも買って2人で向かい合った。始めは近い距離で、おっかなびっくりキャッチしていたが、やがて力強いボールを投げるようになった。そして所属するチームの練習が忙しくなると、もうキャッチボールの相手は必要なくなってしまった。今でも部屋の片隅にグローブが埃を被っているが、またキャッチボールしてみたいと思わないことはない。まぁ、頼めば少しは相手してくれるかもしれないが、昔のように目を輝かせてくれることはない気がする。

子供も大きくなれば楽しみがなくなるのかと言えば、それは「そういう部分がある」ということだろうと思う。娘は成長するとパパが嫌いになるとよく言われるが、幸い我が家ではその傾向はない。話かければ会話は成立するし、私の実家へ行く時は、私と2人でも嫌がらずについてくる。母娘の緊密さに比べれば足元にも及ばないが、それでも普通レベルの父娘の関係くらいは構築できている。家のパソコンが具合悪くなれば、頼られるのは当然私である。

子供も当然ながら成長して親の手元を離れて行く。いつまでも小さいままではいられないのはよくわかるし、成長していくのは喜ばしいことである。大人に近づくに従い、親の影響力も弱くなっていく。ディズニーランドへ行くにも友達同士が良くて、親と行きたいとは思わないだろう。私がそうであったように。寂しいことであるが、それは致し方ない。「小さい頃の方が良かった」と思うのも事実であるが、成長した今の姿もまた良しと思うようにしたいと思う。19歳の娘と15歳の息子と接することができるのは、今だけなのだから。

娘とも息子ともいずれは大人同士の関係となるだろう。いずれ独立して別居でもすれば、会うのは年に何回かという状況になるかもしれない。だが、子供は大人になっても親からすれば永遠に子供である。小さい頃も良かったが、成長した現在は現在で少しは大人の話もできるようになってきて、頼もしく思うことしばしばである。息子は、私があまり持ち合わせていない社交性を持ち合わせていて頼もしく思える時がある。中学3年という今の息子に接することができるのは今だけと思うと、今の姿も貴重なのだと改めて思う。たぶん、5年後くらいには、この文章を懐かしく思いながら読み返しているかもしれない。

 知人には会うたびに、「今しかないよ」と語っている。仕事も大変そうだし、頑張りどころだと思うが、今この瞬間の子供と接するのも今だけなのである。それはまだ幼い子供を持つ知人に対する経験者からのアドバイスであり、それよりも大きく成長した子供たちを持つ自分への戒めでもある。映画『いまを生きる』ではないが、今の子供たちと今を生きたいと思うのである・・・




【本日の読書】
 



0 件のコメント:

コメントを投稿