2020年6月14日日曜日

論語雑感 里仁第四(その23)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。
〔 原文 〕
子曰。以約失之者鮮矣。
〔 読み下し 〕
いわく、やくもっこれうしなものすくなし。
【訳】
先師がいわれた。――
「ひかえ目にしていてしくじる人は少ない」
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 日頃からコミュニケーションて難しいと実感している。それは親しいはずの親兄弟、夫婦でもそうである。ましてや他人をやというところである。丁寧に説明したつもりでも誤解される。同じものを見ても楽観的な見方と悲観的な見方がある。ちょっとした言葉尻を捉えて余計な想像をされてしまう。誤解が誤解を呼ぶ。そうしたことに疲れてくると、余計なことは「言わぬが花」となる。「沈黙は金」という諺もこんな背景があると思う。

 子供が成長過程で、何事につけ「なんで?」と聞いてくることはよくある。大人にとっては煩わしい限り。大人になっても同様で、いちいち説明しないといけないのは煩わしい限り。会社組織ともなれば、「黙って言われた通りにやれ」と言いたくなるのが関の山。勢い、黙って言われた通りに動く者は「愛い奴」と上司の覚えもめでたくなる。そうなると、目端の利く者はイエスマンに転身する。かくして「言われたことしかやらない」サラリーマンが出来上がる。

 「三歩下がって師の影踏まず」という言葉がある通り、日本でも「謙譲」は美徳である。「約を以て之を失う者は鮮し」は日本でも真実である。自分が上司の立場に立てば、なんでも「ハイ」と従う者はかわいいし、使いやすいいい部下である。人間関係を円滑に進めたいと思うのであれば、自分を抑え相手を立てていればまず間違いはないと思う。ただ、本当にそれでいいのかと言うと、個人的には「否」である。「良い子とは親にとって良い子」というのもまた真実だと思うからである。

 人間は誰でも感情があり、考えがある。カツ丼が好きな者もいればカレーの方が好きな者もいる。東京から大阪へ行くのに新幹線がいいと言う人もいれば飛行機がいいと言う人もいる。好みの違い、考え方の違いはそれぞれあって何が正しいということはない。「なんで?」「なんで?」と聞かれれば確かに煩わしいが、答えた時の反応や子供の成長につながるという想いがそれに勝る。煩わしくとも意見は言い合った方が、相手の腹がわかって安心できる。

 「控え目」とはどういう態度を指すのかまでは明らかになっていないが、意見を言い合って、その上で相手に譲るというのであればいいだろうと思う。「以心伝心」「阿吽の呼吸」というのもお互いに理解しあっていれば可能だが、そうでなければ「言わなくてもわかるでしょう」というのは禁物である。もちろん、「コーヒーを出して」と言われれば、砂糖とミルクも一緒に出すのは、日本人同士であれば「言わなくてもわかる」ことではある。

 「控え目」が、「常に自分の意見を明らかにしながらそれに固執せず、柔軟に相手に合わせて対応する」ということであれば、それは理想的だろうと思う。自分と異なる意見というのは、自分が気づかなかった視点であり、それに気づかせてくれただけでもありがたいものである。もちろん、それを煩わしいと考えるのも考え方の1つであるが、自分は言われたいタイプである。人の考えなどわかるはずもないし、忖度もしたくない。その都度考えを言ってもらった方がありがたい。

 ビジネスでもプライベートでも、控え目にしていてしくじることは確かに少ないことかもしれない。ただ、教訓としては消極的すぎるように思う。控え目もほどほどにしないと、「言われたことだけやっていればとりあえず怒られることもない」という成長につながらない考え方を育成しかねない。そういう人間は頼りにはされないことは事実であり、そうならないためには「一歩下がる」くらいにとどめておいた方がいいと思う。少なくとも、子供達に勧めるならそんな「控え目」にしたいと思うのである・・・






【今週の読書】
 



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