2026年7月5日日曜日

財務の仕事

 私は会社では「CFO」という肩書きをもらっている。前期から社長の意向で我が社も社長がCEOであり、私がCFO、他にCSOとCGOがいる。何もカッコつけてアルファベットにしているわけではない。その前は「取締役」であったが(今も法的には取締役である)、取締役だと「経営全般」ということになり、個々の取締役の役割が曖昧になるという欠点がある。そこで役割を明確化しようということになったのである。同じ取締役でも互いに役割がある。「財務担当取締役」でもいいのであるが、「CFO」の方がシンプルというわけである。

 その私が担当する「財務」であるが、しばしば「経理」と混同される。両者は同じようでいて微妙に異なる。「経理」は日々の資金管理である。使ったお金を記録し、それを使途ごとに仕分けして整理したものが最終的に決算書となる。日々の記録であり、「事実」であると言える。「財務」は最終的な決算に向けて決算書を作っていくものとなる。いつどのタイミングで何にお金を使い、そのお金をどう調達するか、そして最終的にどんな決算書に仕上げるか。それはそのまま翌期の資金調達に影響する。

 私は元々銀行員ということもあって、決算書は見慣れている。そしてどんな決算書だとお金が借りられて、どんな決算書だと借りられないかもである。私が今の会社の紹介を受けたのも、前職で社長の裏切りによって他の社員もろとも会社を追い出され、一応社長も知り合いの会社を紹介してくれたものの、給料は減額となり、さらに3年後には定年でさらに給料半減という条件など飲めるわけもなく、知り合いに頼んで紹介してもらったのである。ちょうど経理部長の椅子が空いていたのである。

 役割はそもそも経理部長であった。日々の記帳を確認して決算までを取り仕切る仕事である。実は銀行員は決算書は見ることができるが、実務である経理は苦手である事が大半である。両者は似て非なるものである。ただ、私の場合、元々企業の再建で経理を細かくチェックすることもあったので、割とすんなり入っていけたところがある。今でも専門の勉強はしていないが、簿記三級くらいならすぐ受かると思う。ただ、私の期待されていた役割は銀行との折衝で、主として資金調達であったから、そこは最初から意識していた。

 期初に計画を立て、期末に向けてどういう決算になっていくのか計画を立てる。賞与資金を含めた運転資金の調達計画を立てて、銀行と交渉する。そのためには「借りやすい」決算にする必要があり、それに向けて資金を何に振り向けるかを決めていく。経理は日々の事実を記録していく仕事であるが(私は細かい作業が苦手なところもあって)、私は主にそれをチェックしている程度である。時に記帳科目の指示を出したりすることもあるが、計画通りに進んでいるかを見ているのである。

 しかし、そこには限界もあって、それは結局のところ売上が計画通り進まなければどうにもならないというところである。いくら財務上の戦略をしっかり立てていても、売上が上がらなければすべて画餅に帰するのである。もちろん、売上とは関係のないところで、資金調達などで財務面の運用はできる。それはそれで重要な役割と言える。この財務の仕事は心底面白いと思う。もともとやりたいと思っていたわけではなく、何となく銀行に入れば将来何かあっても、どこかの経理部長で食っていると思ったが、もっと面白い世界があったのである。

 中小企業では、経理と言えばおばちゃんがやっていて、社長がなんとなく財務的なところをやっているというところが(特に規模が小さくなるほど)多いと思う。しかし、ある程度の規模になれば、経理をきちんとやった上で、それをどう生かすかということが必要になってくる。今の仕事はずっと続けていきたいが、万が一追い出されたらそういう中小企業で役立てるのではないかと漠然と思う(個人的にはかなり役に立てると思う)。そういう事態は決して望んではいないが、別の会社の財務も見てみたいという気持ちはある。掛け持ちでもいいならやってみたいと思う。

 天職と言えば大袈裟なような気がするが、面白い仕事であるのは間違いなく、70歳で引退するまで、続けていきたいと思うのである・・・




【今週の読書】
 全体主義の起原3 新版――全体主義 全体主義の起原 新版 - ハンナ・アーレント, 大久保和郎, 大島かおり 別冊NHK100分de名著 集中講義 三大哲学書 カント『純粋理性批判』ヘーゲル『精神現象学』ハイデガー『存在と時間』 - 戸谷 洋志 スターリン:独裁者の新たなる伝記 - オレーク・V・フレヴニューク, 石井 規衛 万物の黎明~人類史を根本からくつがえす~ - デヴィッド・グレーバー, デヴィッド・ウェングロウ, 酒井 隆史



 

2026年7月1日水曜日

論語雑感 郷党第十(その2)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
朝與下大夫言、侃侃如也。與上大夫言、誾誾如也。君在、踧踖如也、與與如也。
【読み下し】
ちょうにてたいうときは、侃侃如かんかんじょたり。じょうたいうときは、誾誾如ぎんぎんじょたり。きみいませば、しゅくせきじょたり、与与よよじょたり。
【訳】
朝廷で、下大夫とは、心おきなく率直に意見を交換され、上大夫に対しては、おだやかに、しかも正確に所信を述べられる。そして国君がお出ましの時には、恭敬の念をおのずから形にあらわされるが、それでいて、固くなられることがない。
************************************************************************************
 人に対する態度という事に関しては、いずこも「目上」「同輩」「目下」に対するものがあるだろう。上に対しては丁寧、同輩に対しては対等、目下に対しては気軽というのが大まかなイメージである。ここで言う下大夫とは自分より身分の低い者、上大夫とは逆に身分の高い者という事なのだろうと思う。会社でも上司に対しては一目置いて接するだろうし、部下に対しては気軽に接するだろう。上司に対しては遠慮して言えないことも、部下になら気兼ねなく言えるという事もある。
 
 孔子のそれは、下の者に対しては威張ることなく意見を言いやすい雰囲気を作っており、上の者に対しては遠慮なく自分の意見を言い、トップに対しても敬意を示しつつ、卑屈になることもないという態度だったのだろう。まさにあるべき姿であるように思う。銀行員時代、上(部長)の顔色を常に伺っていた上司(課長)がいた。判断基準は常に「部長がどう思われるか」であり、自分の意見はないように思えてならなかった。自分の意見がないから、私から意見を求めて相談してもあいまいな答えしか返ってこない。私には不満しかなかった。

 しかし、かと言って下に威張ることがなかったのは良いところだったと思う。考えようによっては上司の意向を汲んで判断することは悪いことではない。むしろあるべき姿と言えるかもしれない。私だからかもしれないが、意見を言いやすかったのはその方の良いところでもあった。下の者に対しては壁を作らず何でも言いやすい雰囲気を作ることは大事なことである。その方はその点ではありがたい上司であったのである。ただ、上に対しては、自分の意見を主張するという事がなかっただけである。

 社長の前ではもみ手ですり寄っていくというのは、昭和の時代のサラリーマンのイメージであるが、今でもそういう人はいるのかもしれない。会社のトップとなれば、人事権を持っているのである意味絶対権力者である。粗相があってはいけないし、上手く取り入れれば出世もできる。そう考えると、もみ手ですり寄るのは正しい戦略かもしれない。ただ、傍から見ていてみっともないのは確かである。絶対権力者の前でも男であれば堂々としていたいものである。私は昔からそういう事をしたくないタイプであり、媚びを売る意識は今もない。

 ただ、会社での絶対権力者に対しては、「最終決定者」という意識で臨んでいる。すなわち、良かれ悪しかれ最終的な判断を下すのは社長であり、「決定が下ったら従う」(後藤田五訓)という信念から、たとえ己の意思に反しても従うのである。いつだったか、社長が取引銀行との付き合いで個人の定期預金を作ることになった。社長だからかなりの金額の定期預金だったが、「もしも会社の金を貸してくれと言ったらどうする?」と社長に問われた。それに対し、私は「何とかします」と答えた。社長はその答えに不満そうであった。

 社長は私に財務の責任者として、たとえ社長であってもそういう時は断ってほしいという気持ちだったようである。私は別に媚びを売ったつもりはない。もしも使途が「フェラーリを買う」だったら答えは「No」だっただろう。使途が「銀行との付き合い」だからこそ、何とかしようと思ったのである。会社のために使うのであれば何とかしないといけない。だが個人の楽しみなら違う(もっともはっきり「No」ではなく、のらりくらりと言い訳をしてお金がないと言ってごまかすだろうが)。

 トップに対して卑屈になることなく、堂々と対応したいのは当然であるが、考えてみればそれはトップの人柄にもよるのかもしれない。気に食わない者をどんどん排除するようなタイプであれば、私もそんなことは言ってられないかもしれない。今となれば年齢的にも職を失えば大幅な収入減は避けられない。有無を言わさず「フェラーリを買うから会社の金を使う」と言われれば従うしかないかもしれない。そういう意味では、今の私が置かれた環境は、恵まれた環境であるとも言える(今のところは)。

 考えてみれば、人に対する態度も相対的なもの。相手次第で変わってしまうところは否めない。生意気な部下であれば、私も心中穏やかでいられないかもしれない。自分の信念に基づく態度ではあっても、そういう相対性のものであると改めて思うのである・・・




【本日の読書】
 全体主義の起原3 新版――全体主義 全体主義の起原 新版 - ハンナ・アーレント, 大久保和郎, 大島かおり 別冊NHK100分de名著 集中講義 三大哲学書 カント『純粋理性批判』ヘーゲル『精神現象学』ハイデガー『存在と時間』 - 戸谷 洋志 蜘蛛 なぜ神で賢者で女なのか (講談社選書メチエ) - 野村育世 万物の黎明~人類史を根本からくつがえす~ - デヴィッド・グレーバー, デヴィッド・ウェングロウ, 酒井 隆史