家庭での子供のしつけや教育に関しては、妻任せになってしまっている我が家ではあるが、1点だけ私もこだわって来たところがある。それは読書の習慣付けだ。本を読むという習慣は、大人になってからも学び続けるためにはどうしても必要なもの。その時になって困らぬよう、子供の頃から習慣にしたいと思っていた。
そんなわけで、子供が物心つくかつかないかのうちに、読み聞かせを始め、物心ついた後は、図書館で紙芝居や絵本を毎週のように借りて来ては寝る前に読んでやっていた。紙芝居などは、二人とも目をキラキラさせて聞いていたものである。そんな効果があってか、二人とも自然と読書に抵抗を持たなくなった。
小学生の息子については、練馬区の推薦図書などからピックアップして読ませるようにしたり、伝記ものや世界の謎なんて興味を持ちそうなモノを図書館で探したり、その他子育て関連のサイトなどで目についたものを選んだりしている。難しいのは中学生の娘だ。
もうすっかり自分で興味を持ったものを中心に読んでいるが、黙っていれば東野圭吾ばかりという傾向になったりしている。やっぱり、まだまだこちらから選んで読ませるようにする部分も必要だと思う。何が良いだろうかと自分の本棚を見まわしてみたが、読ませたいモノはいくつもあるが、なんとなくまだ早いような気がするものばかり。
娘は私に似て感情があまり表に出てこないタイプ。だから無感動などという事ではない事は、私自身良くわかっている。ただ、やっぱり傍から見て心配なところもあるから、せめて本くらいは感動して心を動かされるようなものを読ませたいと思う。そう思ってあれこれ探していたら、本棚の奥で眠っていた【アルジャーノンに花束を】を見つけた。これを読んだのは、まだ20代の頃だったが、いたく感動していろいろな人に勧めたものである。
主人公は、知恵遅れのチャーリー。いい大人なのだが、障害があって、中味は6歳ぐらいの幼児のまま。そんなわけで、周囲にバカにされるのだが、本人はそれとわからないからいつも笑顔を振りまいている。そんな彼が、ニーマン教授から開発されたばかりの脳手術を受け、驚異的なIQを獲得するに至る。
物語は冒頭、「けいかほうこく」として、ひらがなで書きつづられる。それが段々と普通の漢字交じりの文章になっていく。それはチャーリーの知能の変化を表しているのだが、これがまた最後に味わい深いモノを見せる。ちなみにアルジャーノンとは、チャーリーの前に手術を受ける実験用のネズミの事である。
驚異的なIQを獲得した彼であるが、やがて彼のレベルについて来られない周囲がみんなバカに見えてしまう。よくありがちな、頭でっかちの傲慢な男になっていく。ついにはニーマン教授でさえ凌駕する知能に達したチャーリーであるが、そんな時、先に手術を受けていたアルジャーノンに異変が生じる・・・
娘は中学で成績が良い。それはそれで喜ばしい事であるが、勉強ができるというのは人の数ある能力のうちの一つでしかない。当然、それですべてが判断されるわけではない。勉強ができるという事は、100メートルを10秒台で走れるという能力と優劣をつけられる程のものではない。
傲慢になったチャーリーと、みんなにバカにされながらも純真だったチャーリーとを比べ、どちらが良いとかではなく、何かを感じてくれればと思う。人にとって大切なものとは何だろうかと、感じてくれれば狙い通りだ。物語は再びひらがなばかりとなり、そしてタイトルの「アルジャーノンに花束を」で結ばれる。読み終える時、深い感動に包まれる。
これなら今でも十分かもしれないと思う。読み終えてどんな感想を持つのか、楽しみでもある。娘にはこずかいと引き換えに、時折課題図書を課している。次の課題図書はこれにしようと一人ほくそ笑む。その前に、自分でももう一度読み返してみるのも悪くないかもしれないと思うのである・・・
2014年1月22日水曜日
アルジャーノンに花束を
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿