先日のこと、久しぶりに会った知人が意外にもガラケーを使っているのを見て、ちょっとした驚きを覚えた。自分よりずっと若いし、何となくスマホを当然のように使いこなしているイメージがあったからだ。「まだガラケーだけど、何か?」という問いかけに、思いをぐっと飲み込んだ。また、それ以前にも、「今度買い換える時はスマホ」と語っていた別の知人は、またガラケーに買い換えていた。まぁそれはその人の趣味だし、それが悪いとはまったく思わない。
その昔、パソコンを使い始めた時、父からは「パソコンで何するんだ?」と聞かれたことを覚えている。同じことを叔父にも聞かれた事がある。二人とも今では当たり前のようにパソコンを使っている。私は、世間的には比較的早くパソコンを始めたと思っているが、特に何をしたいというものがあったわけではない。ただ何となくこれからの時代、パソコンは必要になると考えて始めたのである。「パソコンで何ができるのか」なんてあれこれ考えるより先に、まず使い始めたわけである。
スマホについては、これと違って何ができるかというのは大体わかっていたし、焦らず買う機会を伺っていたところ、転職を機に追加購入した。それまでのガラケーは転職後壊れてしまったが、スマホを2台持つのも具合が悪く、引き続きガラケーに買い替えて使用している。それはそれで都合が良いのである。
そんなスマホは当然iPhoneで、それは先駆者に敬意を払うという私の考え方からである。今はスマホの端末はいろいろあるが、やはり初めて世に出したところを優先したいのである。iPhoneもいろいろ批判はあるが、その点は重視したい。ちなみに職場で使用している掃除機も壊れたらサイクロン式のものに買い替えようと狙っているが、当然機種は迷わずダイソンである。
実際、スマホは便利である。仕事で外出時に使うケースが多いが、電車の乗り換え案内から現地に着けば地図ソフトを利用するし、物件確認時にはその場で写真を撮りと随分活用している。外出先でメールの確認もできるし、スケジュールも然り。随分歩いたなと思えば万歩計も組み込まれているし、移動時間に今の時期であればオリンピックのニュースに目を通したり、フェイスブックを覗いたりもできる。電車の中でも大半の人がスマホとにらめっこしているのも頷ける。ただ、ゲームだけはしていない。話題の「ポケモンGO」もやろうという気はサラサラ起きない。
今さらスマホの利便性を説くつもりはないが、頑なにガラケーにこだわる人には、何となく違和感を感じざるを得ない。考え方は人それぞれであるが、ある程度時代の流れに合わせてついていくというのも大事な気がするのである。かつて銀行員になった時は、ATMの導入が拡大していく中で、「私は機械苦手だから」とATMを拒絶し、窓口に印鑑と通帳を差し出すおばちゃんがいた。今はネットバンキングも普通になっているが、あのおばちゃんたちは今どうしているのだろうかと興味深い。
何でも新しいものが良いというつもりはないが、世の中は進化しているのである。携帯電話だって出回り始めた頃は、「私は必要ない」と頑なな人がいた(今もいる)。そんな人たちは、不自由はしていないのであろうが、携帯電話を持っていることから得られる恩恵にはあずかれない。何もメリットを得られることが良いとは言わないが、知的にガラパゴス化することは、特にビジネスマンにとっては致命的なことだと思わざるを得ない。人に指示されて給料をもらって終わることを厭わないのであればいいが、少しでも抜きん出よう、自主性を働かせようするなら、知的ガラパゴス人間になったら無理であろう。
ビジネスマンには好奇心は欠かせないと、個人的には思う。相手のニーズに応え、社会の中で競争力を保って収益を上げていくには、それなりの創意工夫が必要である。常に社会にアンテナを張り、昨日よりも少しでも進歩した今日を過ごし、明日はさらに進歩することを目指すなら、そのための思考回路というものが必要である。知的ガラパゴス人にそんな思考回路を持つことはできない。そういうスタンスのビジネスマンは、ウサギと一緒に昼寝する亀である。
ガラケーにこだわる人を批判するつもりはないが、自分としてはそうありたくはないと思う。
これからも、そしていつまでも、「スマホに買い替える人」であり続けたいと思うのである・・・
【本日の読書】
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