2015年12月10日木曜日

みにくきもの

不動産業界に転職して一年。なんとなく「業界人」になった気もするこの日この頃である。不動産業といってもいろいろあるが、主としているのは「賃貸」と「売買」。だが、知り合いのツテから「仲介」を頼まれることもある。

先日引き受けたのは、「底地の買い取り」。長年借地で暮らしてきた方が、地主さんから底地を買わないかと持ちかけられ、その気になって我々に交渉を依頼してきたのである。しかし、双方が提示した「希望価格」には大きな開きがあり、交渉は物別れに終わった。

問題の土地は、実はある問題があって市場では低い評価しか得られない。今回依頼主が提示した価格より若干高い程度。依頼主が強気なのもそのあたりの事情がある。そして依頼主は隣接して土地を持っており、底地を買うことによってその価値が大きく跳ね上がる。だからどうしても買いたい。

一方、そんな事情を知らない地主は、市場価格ではとても手放す気には慣れないが、それより高い価格なら売っても良いと思っている。「事情」を知ったら、もっと強気の価格を出してくるかもしれない。地主さんの言い値で買っても、依頼主には十分メリットがある。私だったら、地主さんの言い値で買うところだ。

しかし、依頼主はこの底地がいかに市場価値がないものであるかを強調し、低い価格を強烈に主張して交渉が決裂した。「価値のないものを安く買うのは当たり前」という理屈である。確かにそれはその通りだ。だが、その「価値」は相対的なもので、依頼主が考える価値はあくまでも「依頼主にとっての」価値でしかない。相手には「相手の価値」がある。それが理解できなかったのである。

相手には相手の想いがある。例えば私の持っている時計であるが、30年以上前に親父に大学の入学祝いに買ってもらったのこの腕時計、今売ろうとしても多分数百円で売れればいいほうかもしれない。ではそれで売るかといえば、絶対に売らない。たとえ10万円積まれても売らないだろう。市場価値数百円の古い腕時計の、それが私にとっての「価値」である。

地主さんだって、先祖から受け継いだ土地である。市場価値が低いからといって、買い叩かれたくはないだろう。だが、自身の年齢と今では遠方に移ったこともあって、多少の値段なら売ろうと思ったわけで、これは依頼主にとっては思いがけない幸運だったわけである。喜んで言い値で買っていれば、自分も大きなメリットがあったし、地主さんも喜んだだろうし、手数料がもらえた我々も喜んだ。まさに「三方良し」であったわけである。

こういう交渉事は、勝負ではない。買ったも負けたもない。少し相手のことを考えて譲っていれば、みんながハッピーになれたわけである。強欲とは言わないが、自分だけ勝とうとしたところにこの依頼主の失敗があったわけである(もちろん、説得できなかった我々の失敗でもある)。

様々な「価値」の中で、それを取りまとめていく難しさを感じさせられた出来事である・・・

【本日の読書】
最貧困女子 - 鈴木大介 ササる戦略 - 三才ブックス 熱狂宣言 (幻冬舎文庫) - 小松成美









0 件のコメント:

コメントを投稿