2017年5月14日日曜日

朝令暮改がなぜ悪い

先日のこと、社長がずっと当面の会社の目標としてきたことを変えるような発言をした。ここにきて突然変えるのかと思ったが、それは果たしていいことなのか悪いことなのか正直に言えばわからない。目標がコロコロ変わったらやりにくいし、かと言って絶対不変のものでなければいけないというものでもないだろう。何が正しいのか、自分の思考も整理したいと思う。

これに関連して、朝令暮改という言葉がある。朝に出した指示を夕方変えてしまうことで、一般的にはマイナスイメージの言葉として捉えられている。しかし、ビジネス的には、めまぐるしく変わる経営環境には迅速な対応が求められるのも事実だし、朝令暮改のスピード感が必要な時もある。一概に悪いこととは言えない。

では、何が良くて何が悪いのか。なんとなくそれは、「変えるべきもの」と「変えてはいけないもの」の違いである気がする。企業のあるべき姿とか大目標とか、そうした根幹に関わるべきものは、そうそう易々と変えるべきものではないだろう。一方で、それらを達成する方法は柔軟に変えていくのが良いと思う。戦術は柔軟にである。

例えば、「北海道に旅行に行こう」という目標があったとして、みんなで準備をしていたとする。そこで「飛行機で行こう」と言っていたものを直前になって「やっぱり新幹線で行こう」、「フェリーで行こう」と変えるのは戦術レベルの変更だ。目標を達成する手段は、「その達成の仕方」を含めて変えてもいいと思う。しかし、「やっぱり沖縄に行こう」とやられると、準備は最初からすべてやり直しとなる。これを朝令暮改でやられるのは、実行部隊としては厳しいものがある。

では、「そこは絶対変えてはいけないのか」と言うと、そう言い切ってしまうのも問題があるような気がする。ただ一つ言えるのは、「朝令暮改で変えるべきではない」と言うことだろう。企業の根幹に関わることをコロコロ変えるのは、社員のモチベーションや外部に対する信頼感という意味でまずいであろう。誰もが仕方ないと納得するような理由が必要になってくる。

そういうと、仕方ない理由を簡単に探してきて見せたりする人もいるかもしれない。だがそれは、「よっぽどの理由」である。例えば、「大地震で現地は大混乱」などとなれば誰もがやむを得まいと思うが、「天候が悪化して飛行機が運休」などという程度では「よっぽど」とは言えまい。代替手段が思いつく限りは、目標達成に向けて少々の障害はクリアしないといけない。

では、「よっぽどの理由」がなければダメなのか。これも最後は「納得性」の問題だと思う。指示される社員が、「納得」すれば問題ない。結局のところ、あれこれ考えても最後はこの「納得性」なのではないかという気がする。「変えるべきではない」ようなことを変えるにあたり、十分な時間をとって説明し、議論し、そして納得を得る。その上での変更なら、社員も「仕方ない」と思うのではないだろうか。

結局のところ、1人でやっているなら何も問題はないわけであるが、社員を使い組織で動く場合には、目標変更は社員のモチベーションを意識してやらないといけないという結論に行き当たる。そしてそれは、戦術レベルならともかく、企業の根幹に関わるものになればなるほどである。必然的に朝令暮改的にはできなくなるであろう。

さて、そう結論づけたところで我が社の目標はどうなるのであろうか。社長の気持ちもあるし、じっくりと議論して双方の納得性を高めていきたいと思うのである・・・






【今週の読書】
 
     

0 件のコメント:

コメントを投稿