角川歴彦氏の『人間の証明 勾留226日と私の生存権について』を読んだ。あまり関心がなく、ほとんど知らなかったのだが、著者は元KADOKAWAの会長であり、会長時代に五輪汚職をめぐる贈収賄容疑で逮捕され226日間を拘置所で過ごしたという。それは誤認逮捕であり、氏は無実を訴えるが、その拘置所での扱いが人権を無視した「人質司法」であり、その理不尽を訴えたのが本書である。
そう言えば、不動産会社プレサンスコーポレーションの創業社長も無実の罪で逮捕され勾留された経験を綴った『負けへんで! 東証一部上場企業社長vs地検特捜部』(読書日記№1453) を出していて読んだが、どちらも勾留中の理不尽な扱いに怒りを込めて体験記を綴ったものになっている。一般の感覚では罪を犯していなければ逮捕されることもないのであるが、著者のように思いもかけないところから逮捕されるという事もあり得なくはない。そういう私も検察に任意で呼ばれて事情聴取を受けた経験がある。
それは前職時代の事、取引先である上場企業が金融商品取引法違反で罪に問われ、そのとばっちりを受けたのである。簡単に言えば粉飾決算だったのであるが、我が社もグルだと疑われたのである。取り調べで社長は20回以上も任意調査に呼ばれ、時に罵声まで浴びたらしい。取り調べは役職員にも及び、私も計2回呼び出された。我々には身に覚えのないことであり、特に不安には思わなかったが、身元調査では自分の預貯金の額まで書かされた。不安には思わなくとも、同じ事実でも見方によっては違う印象を与えるものであり、検事の尋問にはそういう危険性は感じたのである。
そういう経験があるので、なんとなく著者の取り調べの様子も実感を持って想像できるところがあった(もっとも「被疑者」と「参考人」ではだいぶ圧力も違うだろうが・・・)。世の中では時折冤罪事件が話題になるが、それもまんざらわからなくもない。当時、社長は完全にグルだという前提で、時に検事から怒鳴られたりしたそうである。最終的には起訴に至らずに終わったが、気の弱い社長は体調も崩し、だいぶ参ったようである。検察としては罪に問うためには自供を得て裁判に必要な証拠を揃えなければならないため、必死だったのだろう。
実際に罪を犯していても、裁判で有罪にするにはきちんとした証拠を揃えて罪を立証しないといけない。裁判には「疑わしきは罰せず」の原則があるから、そこは厳密に要求される。その苦労はわからなくもないが、問題は疑われる方が無実だった場合である。「無実であれば心配することはない」という事でもなく、事実、著者は持病を抱え、体調悪化を恐れて早期の保釈を認めてもらうために、意に反していくつかの主張を諦めたそうである。それが裁判にどの程度の影響があるのかはわからないが、せめて有罪が確定するまでは「犯人扱い」のような事は避けるべきであろう。
何事も一方的に判断するのは良くない。拘置所側には拘置所側の事情というものがあるだろう。著者が「人質司法」と呼ぶ実体にもそれなりに意味のある事情はあると思う。しかし、持病があって3度倒れ、体重も15キロ落ちるというのはやっぱり問題があるだろう。少なくとも未決勾留の間は「配慮ある対応」が必要だろうと思う。世の一般人にはなかなか知り得ない世界の話は興味深い。興味とともに問題点についても考えさせられた一冊である。当たり前であるが、自分では決して体験したくはないと思うのである・・・
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Volker GlätschによるPixabayからの画像 |


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