2025年2月2日日曜日

あなたの短所はなんですか?

「自分の長所と短所は?」と聞かれたら、みんなはどう答えるのだろうか、とふと考えた。我が社の社長は、新卒採用の学生との面談で「あなたの短所は?」と良く質問する。学生は思いもかけない質問に面食らいながら、あれこれと答えてくれる。社長はそれを聞いた後、「短所は裏返せば長所でもある」とよく学生に語る。そんなやり取りをよく横目で聞いているが、さて自分だったらどう答えるだろうと思う。自分の短所とはなんだろうか。

しかし、あれこれと頭を回らせてみたが、どうにもこれといったものが思い浮かばない。それは何も自分には欠点もない人間だというものではない。むしろ欠点だらけだろうと思うのだが、「何が短所か」と問われるとどうにもこれというものが思い浮かばないのである。短所の反対は長所であるが、では「長所は?」と問われると、なんとなく答えられる。「目標に向けてコツコツ頑張れる」とか、「(ビジネス上の)コミュニケーション力が高い」とか出てくるが、短所となると出てこない。

なんでだろうかとさらに熟考してみる。その理由は2つあるように思う。1つは、人間は自分の顔を見ることはできないのと同じで、自分の欠点を見ることはできないのかもしれない。鏡を使えば実際とは左右反対の顔を見ることはできるが、鏡なしで自分自身で見ることはできない。もう1つは、人間も馬鹿ではないので、自分自身で欠点だと認めたところは改善しようとする。だから短所と言うべきところが改善されてなくなってしまうということである。

私も多分、周りの人から見たらいろいろと欠点はあるのだろうと思う。妻に聞けば滔々と語ってくれるかもしれない。しかし、他人はそれを一々指摘してくれない。だから自分でも気づかないままになってしまう(もちろん、親切に指摘してくれれば直そうとするから直ってしまう)。指摘してくれればいいが、指摘してくれなければ他人から見ればはっきり見える短所が自分では見えない。他人との関わりの中で、自分で良くないなと思うところは直すことはできる。それは鏡で自分の顔を見るようなものであろう。

自分で意識していれば、他人の反応などから改めなければならないところに気付くかもしれない。私も以前は仕事であれば当然だと思うことをストレートに相手に伝えていた。しかし、それだとたとえ内容が正しくても相手から反発を受ける事がしばしばで、それは相手が悪いと開き直っていたが、当然それでは良くなるものもならない。そこで言い方にも気をつけるようにしたら、グッと自分の意見を聞いてもらえるようになった。自分の短所がそれで一つ減った。

まだまだ自分で気が付かない短所はあるだろうと思う。他人からは見えていて自分からは見えない短所。それを見つけるのはなかなか大変である。それと社長の言うように、裏を返せば短所も長所という事もある。「優柔不断」はよく言えば「慎重」だし、「せっかち」も「行動が早い」と言える。なので他人から見える短所を自分では長所と考えているところもあるのかもしれない。「コツコツと取り組む」と考えている事が「遅い」と思われているかもしれない。

そんな事を考えていくと、「短所が見当たらない」のも無理もないのかもしれない。繰り返すが、だから「短所がない」というわけではなく、「自分からは見えない」という事である。見えないから仕方がないと放置するのではなく、他人から指摘してもらえたら感謝を持ってきちんと耳を傾け、指摘してくれなくても他人の反応から気付く意識も必要だろう。そういう感性は常に持っていたいと思う。「あなたの短所はなんですか?」と尋ねられたら、「短所に気づかないところです」という事だろうか。いずれにせよ、自分の短所は敏感であり、常に意識して改善するようにしたいと思うのである・・・

EliasによるPixabayからの画像

【今週の読書】
「戦後」を読み直す 同時代史の試み (中公選書) - 有馬学   戦略文化 脅威と社会の鏡像としての軍 (日本経済新聞出版) - 坂口大作  水中の哲学者たち - 永井玲衣





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