2018年6月20日水曜日

映画『ミッション・ワイルド』に見る西部開拓

いつも週末の深夜は1人映画を観るのを趣味にしているが、先週末に観たのは2014年の映画『ミッション・ワイルド』であった。西部開拓時代のネブラスカを舞台とした西部劇である(と言ってもドンパチはない)。映画の感想は別として、観ていて西部開拓時代の生活振りから感じたことをまとめてみたい。

3人の精神障害を負った女たちを連れて400マイル(650キロ)の旅をすることになったブリッグスとメアリーの2人。と言ってもそれは何もない荒野を馬車で何日もかけての旅となる。まず考えなければならないのは「食べ物」。クーラーボックスがあるわけでもない時代、何日分もの保存可能な食糧を持ち運んでいたのであろう。途中で1人はぐれてしまったメアリーが、馬の背に乗り放浪するものの、食べ物がなくて野草を口にするシーンが出てくる。しかし、たちまち吐きそうになる。隣で馬が同じ草を無表情に食む。この時代、食糧を持たずにはぐれてしまうと下手をすると餓死ものだ。

一行はさらに途中で原住民(インディアン)と遭遇する。ブリッグスは襲われる危険性を前に、馬を一頭与えることで難を逃れる。西部劇と言えばかつてはインディアンは悪役であったが、考えてみればインディアンも突然やってきた白人たちに次々と土地を奪われていったわけである。その白人もヨーロッパの圧政を逃れて新世界にやってきて、何もない荒野を開拓しなければ生きていけなかったわけで、それぞれ事情を抱えた中で随分多くの血が流されたのだろうと思う。ブリッグスの機転にほっと安堵を覚える。

何日もの旅の間、宿などないから基本的に野宿である。焚火を焚き、その周りで毛布をかぶって寝る。風呂もないから川で体を洗う。季節によってはできないだろうから、何日も風呂に入らないことになる(もっとも、町に住んでいた人たちが毎日風呂に入っていたのかはわからないが・・・)。メアリーは途中で狼に荒らされた少女の墓を見つける(これを直すために1人残ってはぐれてしまう)が、道中で無念にも亡くなれば「そこら辺」に穴を掘って埋葬するしかない。当然、後で墓参りなんてできないだろう。

何気なく描かれているが、考えてみれば当時はまだまだ随分過酷な状況だったわけである。今となれば、400マイルと言っても航空機から鉄道、マイカーとどれを選んでも1(あるいは数時間)あれば十分であり、何日分もの食糧を持ち歩く必要もない。車で移動したとしても、道中にはモーテルもあるだろうし、ホテルもある。1日でつけばそれすら必要ない。たとえ道中で亡くなる事態になっても、そこらに埋めて旅を続けるという必要もない。人類の進歩といってしまえばそれまでであるが、映画の表面だけ観ていてもわからない当時の苦労が伺えてくる。

さらにメアリーは31歳の独身。現代でこそ31歳で独身も珍しくないしおかしくもないが、当時は結婚適齢期をはるかに過ぎていたのだろう。メアリーも焦ってか身近な男に積極的にプロポーズして断られる。最後は老人の域に達しているブリッグスにすらプロポーズし、これも断られると自ら裸になって誘う。それでも目的を果たせず、絶望のあまりの行動をとる。現代とは異なる価値観であろう。今の時代ならメアリーも諦めて独身でも楽しく人生を送れたかもしれない。

今はつくづく幸せな時代だと思う。それなりに問題はあるのかもしれないが、少なくともかつての祖先が晒されていた危険は克服し、メアリーの苦労も過去のものであり、映画でわざわざ思い起こさないと考えることすら難しい。祖先の苦労の蓄積の上に現代の生活は成り立っているわけであり、問題があったとしても、祖先の味わった苦労からすれば大したことはないのかもしれない。そう考えると、少しは苦労があった方がむしろちょうどいいのだろう。

 映画を観ながらそんなことを考えた。そんなことを考えさせてくれるのもまた映画の魅力。ストーリーだけではなく、様々な思いも含めて、これからも映画を楽しみたいと思うのである・・・



【本日の読書】
 
     

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