2018年6月2日土曜日

誕生日に思うこと

今年もまた誕生日を迎えた。もはや誕生日だからと言って何か格別な思いがあるわけではないが、それでも人生の1つの節目であるという思いは持っている。このタイミングで、自分自身を振り返ってみるのもいい機会である。そんな54年目の誕生日は、一言で言えば、「今年も穏やかに迎えられて何より」である。それを強く感じる。

4年前の50歳の誕生日は騒動の渦中であった。仕事を辞めるか否かという中で、とてもではないが穏やかとは言えない試練の波の中にあり、ずっと続けていたブログも休止した。気持ちの余裕もなく、とてもではないがブログなどやっている場合ではなかったのである。今でも20145月から1年間がスッポリと抜けている。気持ちの余裕を取り戻し、再開するまでそれだけかかったわけである。

誕生日当日の昨日朝、仕事をしていると高校3年の娘からLINEが入った。誕生日祝いのスタンプであるが、このスタンプ1つでも嬉しいと感じる。娘も年頃になると父親とは口をきかなくなるとよく聞いていたが、何となく自分は大丈夫だと根拠のない実感を持ってきたが、それはその通りであったと改めて思う。夜はみんなでお祝いの堂島ロールを食べた。私の誕生日を祝うものだったか、単に堂島ロールを食べる口実だったかは定かではないが、とりあえず家族行事には入っているようだと安心した。

楽しみは仕事とラグビーと映画と読書と、人と飲みに行くことだろうか。ラグビーでは長年こなしてきたフランカーのポジションを離れ、今はスタンドオフにチャレンジしている。フォワードとバックスの違いは、頭では理解しているが、やるのはまた別。幸い今はYouTubeでいろいろと学べるし、本の手助けを借りて1から修行中である。これがまた楽しい。新たな気づきもあり、いい刺激である。ラグビーを始めて37年目の新人のつもりである。

人間関係では、やはり人との議論が難しい。自分は自分の考えをきちんとロジックを組み立てて説明できる。だから大抵議論では優位に立つことが多い。会社でもそれで割と自分の意見を通し、思う方向に会社を進めていると考えている。それはそれで心地良いしやりがいもあるのであるが、逆に危なさも感じている。相手がそれで深く納得すればいいものの、ロジックと感情はしばし別物。自分の意見は大概正論だし筋が通っているし(そういう風に心掛けている)、それゆえに反対し難いものがあると自分でも感じる。

言ってみれば自分の意見の強さが相手を凌駕する時、それで良しとすぐに考えるのは危険な気がするのである。そういう時は加減も必要ではないだろうかと思うのである。つい先日も、そんな必要性を感じて意見を飲み込んだが、イメージとしては、相手を打ちのめすよりも「わずかに勝る」感じがいいのかもしれない。それでも会社は間違いなくいい方向に向かっているし、それぞれやり甲斐も出てきているように見受けられる人もいる。自分でトライを取るより、仲間にその都度トライを取れるボールをパスするようにしたいと思うのである。

 54年目の新たな一年のスタート。今年も良い夫であり、良い息子、良い父親、良い同僚、良い友人であることができるように、日々精進し穏やかに過ごしていきたいと思うのである・・・




【今週の読書】
 
    
    

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