新聞は、公平・中立にニュースを報じるものとしばらくの間何となく思っていたが、そうではないと気付いたのはだいぶたってからだ。だが普通は、新聞ごとに主張が違うなんて意識しないから、ついつい新聞の記事が世の中の真実だと思ってしまう。怖い事にそれで意図的に世論形成に使われてしまう危険性があるのだ。
週末に政府が浜岡原発に停止要請を出した。それを報じる産経新聞には下記のような見出しが躍った。
「浜岡原発 全面停止へ」
「見えぬ根拠 熟慮の判断か」
「菅降ろしの機先制す 首相唐突また保身?」
「首都圏・関西でドミノ式需給逼迫 全国的な電力不安も」
「百出する難問 拙速要請鮮明」
「30年超の老朽原発も『浜岡だけ』に疑問」
「『逆風に先手』見え隠れ」
ざっとこんなところだが、これを読めば産経新聞は、浜岡原発に対する停止要請に反対である事がわかる。
それどころか中立を装いつつ、巧妙に反対意見に導いている。反対なら反対で構わないのだが、はっきりそう言わず、そう思ってしまうように疑問形を取りつつ導いているところがいかがなものかと思う。菅総理の肩を持つわけではないが、今回の決定は極めてまともだ。福島の災害がいまだ収まらず、損害賠償も国が東電の尻拭いをしなければならない見通しだ。そんな状況下、30年以内にM8規模の地震が起きる確率が87%あり、なおかつこれまでの「想定」を見直す必要がある。そういう状況下で、「安全対策が取られるまで」停止するのは極めて当たり前の措置だ。
例えて言うなら、航空機が事故を起こし、同型機で同じ事故が起こる可能性が87%あった場合、ただちに同型機の運行を停止し、安全対策を取るだろう。「すでに予約客がたくさんいるから運行停止すると多大な迷惑をかける」などと言って使用を継続するだろうか。唐突と言ったって、では「唐突でない」発表ってどんなものだと疑問に思う。「拙速」とは言っても場合によっては、「構え、撃て、狙え」という事が必要な事もある。
新聞が大企業寄りになるのは、スポンサーに気を使っているからだろう。そうしたバイアスは理解していないといけない。中部電力が渋るのも、代替電力を火力で補おうとすると、コストが上昇して今期の利益が吹っ飛ぶからだ(ちゃんと新聞に書いてある)。公平・中立なニュースを掲載してほしいと思うが、はっきり言って期待はできない。
今は「あさひ小学生新聞」を熱心に読む小学校5年の我が娘。間違っても朝日新聞を読ませるつもりはないが、いずれ普通の新聞を読むようになったら、盲信しないように教えないといけないと考えている。本当は全紙購読して比べれば面白いと思うのだが、さすがにそんなゆとりはない。せいぜい新聞の読み方をどう教えるか考え、「その時」に話を聞いてくれるように、娘とはコミュニケーションをしっかりとっておきたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「利益第二主義」牧尾英二
「逆説の日本史17」井沢元彦
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