2025年7月7日月曜日

夏の日雑感2025

 まだ梅雨明け宣言は出ていないと思うが、連日の真夏日である。周りは皆「暑い、暑い」と繰り返すが、私自身はあまり言わないようにしている。と言うのも、夏は暑いのが当たり前であり、逆に暑くなかったら大変なわけである。そうであれば夏は暑くないより暑い方が良いわけであり、「暑い」と言っても始まらない。むしろ今の暑さを楽しむくらいにしたいと思う。実際、暑さにも7月の暑さと8月の暑さは違う。7月の暑さは例えれば「元気な暑さ」であり、8月のそれは「衰えた暑さ」である。肌にあたる日差しの痛さも違う。今の暑さは今のうちでないと味わえないのである。

 そう思うと今の暑さも楽しんでおかねばならないように思う。最近は熱射病や熱中症などに対する注意を促されているが、それはそれで注意したいと思うが、個人的にはあまり心配はしていない。シニアラグビーはこの時期でも活動は休止しない。炎天下で走り回るのはシニアにはよくないようにも思うが、みんな元気だ。この頃は帽子をかぶるようにしているが、意外と効果的であり、練習中だけでなく、外出時にもかぶるようにしている。練習中はたっぷりと汗はかくものの、時折吹いてくる風に妙な清涼感を感じる。「心頭滅却すれば・・・」などと説くつもりはないが、炎天下の涼風もまた心地良いものである。

 幸いな事に、仕事はデスクワークであり、日中はエアコンの効いた室内にいられる。外で働く人は大変だろうと思うが、我々は恵まれている。さらに昔から比べれば上着は必要ないし、ネクタイも不要である。一応我が社はIT企業であり、ドレスコードはなく、みんな私服である。それでも立場的にワイシャツとスラックスは着用しているが、かつてのネクタイ+上着の時代から比べたら天国である。今でもそれにこだわりを持っている人もいるようであるが、個人的には「臨機応変」、「郷に入っては郷に従え」の私としては、そういうこだわりはない。ノージャケット、ノーネクタイで十分満足である。

 銀行員時代、銀行員は50代半ばで肩叩きにあうので、早めに自分から外へ出ようと考えていた。基本的に一般企業がいいなと思っていたが、銀行が紹介(出向→転籍)してくれるところよりも自分で探そうと考えていた。関連会社は給料も大幅に下がるし、人間関係は似たようなものだしで魅力はなかったのである。しかし、出ようと出ようと思いつつ、心のどこかでそれを回避している自分がいたのは確かである。いざとなれば不安や面倒が先立ち、なんだかんだと行動しない理由を自分に言い訳していた。結局、偶発的に飛び出してみれば何の事はない。もっと早く飛び出していればと後から思ったものである。今抱えている問題もそう考えて行動に移そうと決意した。

 気がつけば7月。もう1年も半分が終わった事になる。早いもので、あと半年経てばまた年末年始の慌ただしさとなる。「光陰矢の如し」という諺があるくらいだから、昔も今も時が経つのは早いのだろう。しかし、考えてみればこれは当然で、現在から過去を振り返ればすべて過ぎ去っている事から時間が経つのは早いと感じるのも当たり前である。それが証拠に次の週末の事を考えるとまだまだ先という感覚が強い。楽しみな週末の前に仕事のウィークデーがあると長く感じるのではないかと思う。どう感じようと時計は動き続けているわけであり、その瞬間、瞬間を楽しみながらその時を過ごしたいと思う。

 週末に高校時代の同級生と会う機会があったが、話題の一つは親の事である。年代的に介護の話題が出てくるので情報交換である。幸い我が両親はまだ介護は必要ないが、2人だけで生活させておくのは心もとない状況である。一晩寝ると記憶は飛ぶし、毎日が何日、何曜日かもはっきりしない。影響が出ているのはゴミ出しで、曜日がわからなくなるのでゴミ出しを間違えたりする。生ごみを含む燃えるゴミの日を間違えると大変である。本人も老眼で気がつかないのか、先日はゴミ箱に蛆が多数湧いていた。本人曰く、「ゴミはちゃんと捨てている」と言うが、2日でここまで蛆まみれにはならないだろう。黙ってゴミ箱を掃除したが、やるせない気分になる。

 財布は何度もなくし、何度も見つかっている。実際には家の中で置き忘れているのであるが、その都度キャッシュカードをなくしたと銀行の窓口に行っていて、前回は「またですか?」と窓口担当者に言われ、「息子さん(つまり私)に相談してください」と言われて本人は憤慨して帰宅したという。銀行の窓口の人も大変だろうと思う。誰もが行く道なのかもしれないので邪険にしようとは思わない。ただ、我が身がそうなるのは何としても避けたいところ。家族に負担はかけたくないものである。おそらく我が両親もそう思っているのではないかと思うが、どう思っているのだろうか。

 時間は休むことなく進み続ける。今のままが良くても変化は避けられない。今もいたるところに諸行無常の風が吹く。それは清涼感というよりも寂寥感を伴う。いずれは両親を見送り、気がつけば己も最後の時を迎えているかもしれない。せめてその時にしっかりと意識を保っていたいと思う。振り返ればあっという間の人生なのだろうが、それまでの一瞬、一瞬を大事にしていきたいと思うのである・・・


narumilkによるPixabayからの画像

【本日の読書】

 日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学 (講談社現代新書) - 小熊英二  霜月記 - 砂原浩太朗







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