2024年11月17日日曜日

色眼鏡

ハマスの実像 (集英社新書) - 川上泰徳

 『ハマスの実像』という本を読んだ。中東では昨年の10月にハマスがイスラエルに越境攻撃を仕掛け、民間人を多数殺害して人質を取るというテロ行為を起こしている。それにイスラエルが反撃し、ハマスの殲滅を宣言して1年以上戦争状態が続いている。もともと中東の紛争には興味があったこともあり、なんとなく「ハマス寄りのハマスに同情的な本」であるというイメージはしていたが、あえて手にした次第である。

 著者は中東専門のジャーナリストであり、「元朝日新聞記者」という肩書きを見て、そして内容を読んでやっぱりハマス寄りの内容であった。「イスラエルの軍事占領という暴力の元に」、「特にガザは被人道的な封鎖下におかれ、『天井のない牢獄』と呼ばれる状況に閉じ込められてきた」ことを考えれば、「何もないところから暴力が生まれるわけではない」とする。著者によれば、「だからハマスの攻撃も止むを得ない」というものであるが、多くのハマスに同情的な意見は、多分同じであろう。

 私はと言えば、イスラエルの置かれてきた環境を考えれば、ガザの封鎖や入植地の拡大といった施策は、「好ましくはないが止むを得ない」と考えている。だからハマスに同情的な意見には与する事ができない。それにどういう解決策が望ましいかと考えれば、「平和的な話し合いによる解決」であり、それにはハマスによる攻撃を「仕方ない」とは思えない。まずは暴力行為を停止するところからがスタートだと思う。お互いに話し合いのテーブルにつけば、国際世論もハマスやパレスチナ側にもっと支持が集まるだろうと思う。

 それはともかく、人には自分の寄って立つ「視点」というものがある。著者のようにハマスに同情的な立場だと、「原因はイスラエルにある」となる。しかし、私からすると、紛争は過激派のハマスが支配するガザでばかり起こっていて、穏健派のファタハが支配するヨルダン川西岸地区では(あまり)起こっていない事を考えれば、「諸悪の根源はハマス」となる。たぶん、私が著者と議論してもこの「視点」が異なる限り、合意には至らないと思う。言ってみればこの「視点」は色眼鏡である。

 私も自分の意見こそ絶対とは思わず、イスラエル寄りの色眼鏡で見ている事は事実である。そしてそれが正しいと思っているので、訂正するつもりは今のところない。ただし、そこは柔軟でありたいと思うので、自分と反対意見の人の話はきちんと聞きたいと思う。この本をハマス寄りだと思いながらもあえて手に取ったのもそういう次第である。イスラエルも100%正義だとは思わない。特に現在は強硬派のネタニヤフ首相が強力な指導力を発揮している環境であるから尚更である。それでもまだハマスよりはイスラエルの肩を持ってしまう。

 一つの同じ事実も「視点」が異なれば解釈も異なる。色眼鏡の色によって同じ世界も見え方が異なる。「イスラエルの軍事占領に対する抵抗」と言うか「テロ」と言うかによって事実が変わるものではない。ただ「抵抗」と美化しても平和的な解決策には至らない。これは間違いないと思う。会社でも色眼鏡の違いによって意見が相違する事が多々ある。こちらの意見を丁寧に説明してもわかってもらえないのは、色眼鏡は簡単に変えられないという事を意味している。

 常に自分の色眼鏡が正しいと言うつもりはない。できる限り相手の色眼鏡を理解しようと思うし、自分の色はできるだけ丁寧に説明しようと思うが、それが精一杯である。どうしてこうも違うのだろうか。考えてみれば面白い。自分の色眼鏡はどうしたら変わるのだろうかと考えてみると、それは相手の意見の説得力に他ならない。という事は、相手の色眼鏡が変わらないのは、自分の説明に説得力が足りないからと言える。相手の色を理解しつつ、説得力のある説明を試みる他はないだろう。

 歳を取ると頑固になるとはよく言われるが、自分も思考の柔軟性は保っていたいと思う。相手の主張をよく理解し、そこで自分の考えときちんと照らし合わせるようにしようと思う。そう思うものの、今回のこの本の主張にはやっぱり同意できない。平和的解決には、「抵抗」などとテロ行為を正当化する考えはダメだという考えは変えられない。相手の意見はきちんと聞いたうえでのことなので、これはこれでいいと思うのである・・・


Satheesh SankaranによるPixabayからの画像

【本日の読書】
三体2 黒暗森林 上 (ハヤカワ文庫SF) - 劉 慈欣, 大森 望, 立原 透耶, 上原 かおり, 泊 功





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