2024年11月30日土曜日

論語雑感 泰伯第八 (その13)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感
【原文】
子曰、篤信好學、守死善道。危邦不入、亂邦不居。天下有道則見、無道則隱。邦有道、貧且賤焉、恥也。邦無道、富且貴焉、恥也。
【読み下し】
曰(いわ)く、篤(あつ)く信(しん)じて学(がく)を好(この)み、死(し)を守(まも)りて道(みち)を善(よ)くす。危(き)邦(ほう)には入(い)らず、乱邦(らんぼう)には居(お)らず。天(てん)下(か)道(みち)有(あ)れば則(すなわ)ち見(あらわ)れ、道(みち)無(な)ければ則(すなわ)ち隠(かく)る。邦(くに)に道(みち)有(あ)るに、貧(まず)しく且(か)つ賤(いや)しきは、恥(はじ)なり。邦(くに)に道(みち)無(な)きに、富(と)み且(か)つ貴(たっと)きは、恥(はじ)なり。
【訳】
先師がいわれた。「篤く信じて学問を愛せよ。生死をかけて道を育てよ。乱れるきざしのある国にははいらぬがよい。すでに乱れた国にはとどまらぬがよい。天下に道が行われている時には、出でて働け。道がすたれている時には、退いて身を守れ。国に道が行われていて、貧賤であるのは恥だ。国に道が行われないで、富貴であるのも恥だ」
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道とは何であろうか。ここでは「人の道」という意味であろうか。人の道とは何であろうか。それはおよそ人間社会で他人と関わり合って生きて行く上で守るべき倫理的なものという感じがする。人はみな我が身大事だと思う。まず自分の幸せがあって、それから他人の幸せという順序だろう。我が身の中には家族も含まれる。唯一、我が身より優先するのは家族かもしれない。

そんな中にあって、それでも自分より他人を優先する事、時として自らの欲望よりも他人に対する思いやりを発揮する事が望ましいであろうが、そう理想通りにできるかは難しい事だと思う。自分はそんな理想通りの行動がその時になってできるだろうかと考えてみる。そんな機会は3年半前に突然前職を失職した時に訪れた。社長が会社をM&Aで突如売却し、役職員全員に首が宣告されたのである。青天の霹靂とはまさにこの事。退職金は1人一律50万円。社長は会社を売却し、億の資金を手にし、悠然とリタイアした。

とりあえず、知り合いの会社(一応上場企業だ)に職の斡旋をしてくれたが、勤務条件は一人一人の交渉で給与の補償はなかった。そこに就職した社員もいたが、中には大幅な減収となった者もいた。私もその1人であった(副社長としてそこそこの報酬をもらっていたからである)。自分の事もさることながら社員も途方にくれる者もいたので、そちらのケアもやらないといけなかった。当然、このやり方に副社長として異議を唱えた。この事態に、M&Aを仲介した日本M&Aセンターの担当者は厄介な事になるのを防ぐため、私を懐柔しにかかってきた。曰く、「みんなをうまく取りまとめてくれたら退職金を上乗せする」と。

日本M&Aセンターの担当者としては、何とかこの取引をまとめたかったのだろう。成果報酬もかかっていたようである。億単位の取引であり、成果報酬もそこそこ大きかったのであろう。私はと言えば、退職金50万円など冗談ではないと思っていた(他の役職員も皆そう思っていた)。何せ赤字会社に入社して、社長がこしらえた億を超える赤字を一掃するべく戦略を考えたのはこの私だし、実行したのは社員である。社長が社員を食わせていたのなら仕方ないが、社長を食わせていたのは我々である。

そういう状況であるにも関わらず、用済みでポイと言うのは腹立たしい。しかし、私には他のみんなを出し抜いて1人みんなより多く退職金をもらおうという考えは起こらなかった。子供もまだ学生であり、住宅ローンも残っている身で次の仕事も探さないといけないし、内心の動揺は激しかったが、自分の事だけ考えるというわけにもいくまい。日本M&Aセンターの担当者の提案はその場で断り、対抗策を考えた。1人抜け駆けするよりも、何とか一矢報いようと作戦を考えたのである。

結局、子会社を合法的にいただく事で、みんなと共にそれなりの退職金相当額を確保した。みんなには感謝された。おそらく抜け駆けするよりも多くのお金を手にできたし、みんなとの良好な関係も維持できて、その後も集まって飲みに行ったりしている。今振り返ってみても、先行きの不安が大きい中で、自分の事だけを考える事はせず、みんなの事も考えて私なりに人の道を外れないように良くできたなと思う。

億の金を手にして悠々自適のリタイアをした元社長は、金の苦労をせずに正直言って羨ましく思う。「道が行われないで、富貴であるのも恥だ」と言っても、所詮負け犬の遠吠えであろう。「道がすたれている時には、退いて身を守れ」と言うが、「攻めて身を守った」と言えるのではないかと思う。人はどこかで理屈をつけて自分を納得させないと心に傷を負うものである。さしずめ「道を守った」という事で、自分を納得させたいと思うのである・・・

Pete LinforthによるPixabayからの画像

【本日の読書】
「食」が動かした人類250万年史 (PHP新書) - 新谷 隆史  砂漠と異人たち/宇野常寛(著者)





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