人は考え方でできている、とつくづく思う。その人がどんな人なのかは、イコールどんな考え方の人なのかと言える。人生は選択の連続であり、場面場面でどんな選択をするのかはその人がどんな考え方をするのかによって異なる。したがって、同じ環境にいたとしても、人によってまったく違う結果になるのも当然のことと言える。イチローがなぜあれだけの選手になれたのかと言えば、そのような考え方をしてきたからであり、同じ考え方をしていれば誰でもイチローのようになれるはずと言っても過言ではないと思う。
仕事でも考え方の違いは如実に現れる。私は総務部に所属しているが、会社の問題点に対する解決策をよく提言している。それは必ずしも総務部の範疇にある事ばかりではないが、会社全体に関わることは自分にも多かれ少なかれ関わることだと「考えている」ので、そうすることが自然なのである。だが、「それは総務の仕事ではない」と言ってしまえばそれまで。そしてそんな提言をしなくても何ら非難されることはない。「余計なことはしないでおこう」と「考える」のも考え方である。
そして会社が現在置かれた状況からさらに発展していくために必要なことと思われることを提案したところ、問題点を次々と指摘された。それ自体悪いことではない。ただそれが、「だからダメだ」となると如何かと思う。「問題の中に解決策を見出す人」と「解決策の中に問題を見出す人」とがいるとしたら、自分は前者でありたいと思う。問題点を無視する訳ではないが、そもそも根本的な問題があって、それをどうするかという中で出て来た解決策である。それを問題があるとしてやらなければ、そもそもの問題は解決されないままである。マイナス面ばかり強調するのではなく、「メリットと比較してどうか」が大事である。これも「考え方」である。
折りからの人手不足もあり、パートさんに出勤日を増やしてもらおうと考えた。そこで出てきたのが「103万円の壁」である。扶養家族である主婦の収入が増えると、ご主人の扶養控除の対象から外れ、ご主人の所得税が上がってしまうという問題である。しかし、これも「考え方」である。主婦の収入が増えれば、扶養控除から外れてしまったとしても2人を合わせた家計の収入の総額は増えるのである。社会保険が変わる「130万円の壁」も同様である。闇雲に世間で言われていることを真に受けるのではなく、自分で計算してみるなりして考えてみることが大事である。
勉強ができる、できないというのも「考え方」だと思う。授業を真面目に聞く・聞かない、家に帰って予習復習をする・しない、わからないことがあれば質問する・放置する、それらについて「どう考える」か。私の場合、「言われたこと(勉強)を真面目にやる」というよりも「自分の知らないこと、できないことを知りたい、できるようになりたい」という考え方だったため、比較的勉強は苦にならなかった。試験前に一夜漬けというのは嫌いでやりたくなかったから、普段から少しずつコツコツやる方を選んだ。そういう考え方で勉強をした。
高校生の頃は将来サラリーマンにはなりたくなかった。それはサラリーマンというのは「指示されたことを奴隷のようにやる」というイメージがあったためだが、その考え方は今でも変わっていない。サラリーマンにはなったが、指示されて奴隷のように働くのではなく、自ら動く方を選んでいる。今では(頼まれてやる事ももちろんあるが)仕事はほぼ自分で考えてやるべきことを決めてやっている。だから仕事も楽しい。楽しくないという人は、どこかで考え方を変えてみるといいのではないかと常々思っている。
バイトを始めた娘には、「もらうバイト代以上に働きなさい」と教えている。私自身、「給料分以上働く」という考え方でずっとやってきている。「バイト代以上働いたら損をする」というのも考え方だが、そういう考え方だといつまでもバイト代は上がらないと思う。「指示されてないからやらない」と考える支持待ち族になるか、指示がなくてもやる人になるか。「課長になったらやる」と考えている人と、「課長ではないけどやる」と考える人がいたら、次にどちらかを課長にしようと考えている人はどちらのタイプを選ぶだろうか。自分の器の大きさを決めるのもすべて「考え方」だと思う。
こうした「考え方」はいくらでも後から身につけられる。遺伝で決まるものなら仕方がないが、そうではない。であれば、考え方次第でイチローのような存在になるのも夢ではない(もちろん時期にもよる)。早ければ早いほどいいだろうが、遅いからダメということでもないはず。それも「考え方」である。何をどう考え、どう行動するかでその人がどんな人になるか、どんな運命を辿るか決まる。社長に選ばれるのは(血縁で選ばれる場合を除き)、それに相応しい「考え方」のできる人である。
自分の考え方がベストだと自惚れるつもりはないが、「考え方」はかくも大事だということは念頭に置いておきたいと思うのである・・・
mohamed HassanによるPixabayからの画像 |
0 件のコメント:
コメントを投稿