2022年1月16日日曜日

息子と

 先日、息子を連れて実家へ行った。正月は妻と子供達は妻の実家へ行ったため、息子を連れて我が実家へ新年の挨拶に連れて行ったのである。両親からすれば最年少の孫であり、訪問を楽しみにしていたところでもある。話題は昨年夏の甲子園予選。我が息子の通う都立高校は弱小ながらも今はネットの発達で2回戦でも観戦ができる。両親はテレビに繋いだスマホ画面の前に鎮座して息子を応援したのである。両親それぞれからお年玉をもらい、今は少子化でお年玉も少なくなっていることもあって、息子も貴重な収入を喜んでいた。

 そんな両親と息子の交流を眺め、1日を過ごした後の帰りの車中。それは息子との語らいの時間。普段、家にいても改めて2人でじっくり話すことは少ない。こういう機会は積極的に利用したいと思う。息子にはいろいろと話をしたいと常々考えている。自分の経験、自分の考え方等々である。私もこれまでいろいろ経験し、失敗もしてきた。そんな人生訓は息子のこれからにもきっと役立つと思う。お金は大して残してやれないが、そういう経験談はなるべく伝えてあげたいと思うのである。

 それはきっとどの親もそうだと思う。勉強はした方がいい。大学もいい大学に行った方がいい。(最初の)就職は大企業にした方がいいというのはどの親もそう思うし、そう教えようとする。しかし、子供が反発するというのもよくあるパターン。母親が「勉強しろ」と言い、息子が「うるさいな」と反発する。どこでも(我が家でも)ある風景である。息子にすれば、わかっていて耳に痛いことを言われると面白くないだろう。それはきっとどの親も自分で経験してきていると思うのだが、親になれば忘れてしまうのだろう。

 そういう事があるので、私は息子に「勉強しろ」とは言わない。と言っても正しくは、「勉強“も”しろ」と言っている。高校に入った時から「文武両道」、野球も勉強もどちらも一生懸命やれと言っている。先日の話題は、「コーチ」から入った。野球部では誰がコーチしているのかと。私が高校生の時は、大学生のOBがボランティアで教えにきてくれていた。我が母校ではラグビーを教えられる先生などいなかったので仕方がない。息子の場合は先生が経験者らしく、先生がコーチ兼任だと言う。しかし、息子の口から漏れてきたのは先生のコーチに対する不満である。

 息子が言うには、どうやら先生の経験値が低いのか、指導内容が十分なレベルではないらしい。「中学の時のチームの方が練習のレベルが高い」そうである。確かにスポーツではコーチの影響力は大きい。息子から見ると、基本的な技術ができていないチームメイトが十分な指導を受けられずにいてもどかしいらしい。そう言う息子は、YouTubeなどで研究したりしていると言う。「まずは自分がわかっていることを中心にみんなに提案してみたらどうか」と息子にはアドバイスした。息子もそれに対しては素直に頷いていた。 

 私の持論として、スポーツも勉強も基本的には「どうしたら(できないことを)できるだろうか」と追及していく点で共通していると思う。そしてどちらも先生の影響が大きい。教え方のうまい先生に習うとスポーツも勉強も力がつく。息子もそれには同意して、しばし会話が盛り上がった。話しながら思ったのは、興味のあることなら息子とも十分に会話が成り立つものだと言うこと。子供が生返事ばかりしているのは、内容に興味がないからだろう。だから興味のありそうなことをきっかけにして、伝えたいことを伝えるようにすれば話を聞いてくれるのではないかと思う。

 父は中学を卒業してすぐに友人と2人で働くために上京したそうである。時に昭和28年の春である。当時、東京まで汽車で6時間かかったそうで、遠く故郷を離れ、見知らぬ東京でさぞかし心細かっただろうと思う。幸い私は16の春には何の苦労もなく高校生になれた。息子も然り。ただ、それを当然と思うのではなく、幸せだと思って有意義に過ごせ、高校生活を満喫しろと話した。そして今年も夏になったら試合に出て、活躍する姿を祖父母に見せろと。ついでに勉強もしっかりやって自慢の孫になれと。頷いてはいたが、どう感じたのだろうかと思う。

 父から私へ、そして息子へと伝わるものが少しでもあればいいと思う。それは一度にと言うより、折に触れて2人で話をすることによって可能になるのだろう。これからも息子と2人で語り合う時間を作りたいと思うのである・・・


sipaによるPixabayからの画像 

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