近年、読んで「目からうろこ」系の感動を覚えたのが、『ベスト・パートナーになるために-男は火星から、女は金星からやってきた-』(ジョン・グレイ)であり、『妻のトリセツ』(黒川 伊保子)である。いずれも女の心理を説明していて、それによると、女があれこれと問題をあげつらっても、それはけっして解決を求めているわけではなく、ただ単に話して鬱憤を晴らしているだけだというもの。私などはついつい問題に対する解決策を提示してしまうが、これはダメらしい。
女性は問題をウジウジ話して満足するらしいが、私は解決しないと気が済まないタチで、「ならどうする?」といろいろ考えてしまう。最近、実家に行くと母親は田舎にある祖父より相続した土地に絡む問題を私に言う。それに対する解決策はとっくに説明してあるのだが、一向に動く気配がない。それも「話して満足」なのだと思って最近は聞き流しているが、毎度毎度となるとさすがに聞き流すのも限界感がある。まぁ、それでもぐっと我慢して聞き流すしかないのであるが・・・
そういう解決策であるが、なぜかそう大して時間をかけずともふっと頭に浮かんでくることが多い。もっとよく考えたらもっといいアイディアが出てくるかもしれないと思って続けて考えてみるが、そういう時は大抵大した考えは及ばない。ふと閃いたアイディアが1番であることがほとんどである。なんとなくそういうものは時間をかけてゆっくりと慎重に考えたものの方がいいアイディアが出てくるような気がするが、私の場合はそうではない。
似たようなケースとしては、買い物がある。私の場合、買い物にかける時間は非常に短い。女性の買い物は非常に時間がかかるものであるが、私の場合は即断即決である。高額なものはあらかじめ考えてから買いに行くので早いのは当然であるが、「目的に応じてその場で選ぶ」式であっても、ほぼ第一印象で決めてしまう場合が多い。迷うのは機能がよくわからなくて目的に叶うかどうかがわからなかったりするような場合である。なんとなく即断即決も気になって、いろいろ見て回っても、結局最初に選んだものに落ち着くケースがほとんどである。
別に考えるのが面倒だとか、あれこれ比較して回るのが面倒だとかというわけではない(そういう気持ちもあるにはあるが・・・)。ただ、あれこれ考えてそれによってより良い考えに結びつくのであれば時間をかけることも厭わないが、たいていの場合、時間をかけてもかけなくても一緒というものが多い。最終的には「(買って)使ってみないとわからない」というものであれば、時間をかけて考えても結論は出ない。買い物であれば、いざ失敗したとなっても「このくらいの値段であれば諦められる」と思う程度の価格であれば迷う時間が無駄であると思う。
それがたとえば、失敗したら後悔するような値段であれば、失敗したケースを想定してそれで(気持ちも含めて)リカバリーする方法を思いつくかどうかである。思いつかなければやめればいいし、思いつけば買うのである。そしてそれは、そんなに時間をかけなくてもその場で判断できるものである。となればそれほど熟考しなくても済む話である。買い物に限らずであるが、たいていはそのようにシンプルに考えて判断すればそれほど時間をかけてなんども考える必要はない。
不思議なもので、考えついてから実行するまでに時間があるものである場合、ふとしたはずみで別のもっと良い考えが思いついたりする。それは風呂に入っている時だったり、土日の朝に目覚めてしばし布団の中でまどろんでいる時だったりする。きっと、深く潜在意識のどこかで考え続けていたのかもしれないが、それは意識して考えたものではない。そんなこともあるからかもしれないが、「これ以上考えても答えは出ない」というところまで一旦考えるからかもしれない。
孔子の言うように「二度考えれば十分」だと思っているわけではないが、いつの間にかそんな風に何度も考えないようになっているなと自分自身思う。案外、得てしてそういうものであり、孔子も何度考えても同じ結論にしかならないということを言っているのかもしれない。それが万人に当てはまる真実かどうかはわからないが、私自身としては言われるまでもなく自然に行っていることであり、これからもそうし続けることだろう思う。それがさらに孔子のお墨付きとなれば、なお安心して続けたいと思うのである・・・
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