仕事で何事かを成し遂げるためには、「三種の神器」が必要であると思う。しかし、実はそれだけではない。それどころか「三種の神器」以上に必要なものがあると思う。それは「人間関係構築力」である。世の中は、やはり人と人との関係で成り立っている。1人で生きているわけではない。当然といえば当然であるが、ゆえにその中で他の人といかに関わるかが大事である。
この「人間関係構築力」が私は大の苦手。それで随分損をしてきたと思う。銀行員時代、結果的にそれほど出世できなかったのは、はっきり言って能力の差ではなく、この「人間関係構築力」の差であると自覚している。要は相手の気分をいかに害さずに物事を進めるか、なのである。組織の中では上司がいて、同僚がいて、部下がいる。部下に関してはまだ良いとしても、上司と同僚とうまくやっていくことは、仕事の成果や出世に大きく関わることである。
上司とうまくやっていくと言っても「おべっか」を使うわけではない。意見が一致している場合はいいが、問題は意見が一致していない時。どうしても私には「なぜわからない」という思いが出てきてしまう。銀行であれば、つまらない保身から消極的になる上司も多い。そういう時、どうしても腹のどこかで相手を馬鹿にしてしまうのである。そういう気持ちは当然相手に伝わるし、結果としていい印象は与えない。そうなれば当然、評価もいい評価は期待できなくなる。
私が新入行員だった1988年は、まだ滅私奉公の時代。休みの日も支店行事に駆り出されることがしばしばあった。私はこれが苦痛で苦痛で仕方がなかった。何が悲しくて休みの日までわざわざ職場の人たちと過ごさなければならないのかと。ある時、レクレーション担当の課長と喧嘩になってしまったことがある。「休みの日までできません」と言ったところ、「これも仕事だ!」と言われ、「なら休日出勤手当は出るんですね」と返したのだ。今あの時に戻ったならば、そんなことは絶対言わないだろう。
ちなみに、当時はどこも会社で運動会をやるのが一般的であった。私のいた銀行も例外ではなかったが、私はこれも嫌で仕方がなく、これは断固拒否して行かなかった。しかし、次第にそこはうまく説明するようになって、毎年運動会の日には友人の結婚式に出ていることになっていた。はっきりと「休みの日に行きたくない」と言うよりも、「友人の結婚式があって・・・」と言った方が角が立たない。精神的にも穏やかでいられる。
また、若い頃はそんな具合だったからアフターファイブのお付き合いも避けていた。誘われて断ることもしばしば。アフターファイブのお付き合いは、いわゆる「飲みニケーション」と言われるくらい大事である。職場を離れてリラックスした状態で、先輩あるいは上司は後輩または部下に仕事の心得をいろいろと語って聞かせるのである。これが私には苦痛であった。なにが悲しくて仕事の後も自慢話を聞かなければならないのかと。今であれば、進んでお供をして話を聞くだろう。それはおべっかというよりも、何か自分に得るものがないかという考えである。
議論になって意見が食い違う時、私は相手の議論を封じ込める傾向がある。どうしても問題点を指摘されればその解決策を提示する。それが繰り返されれば、相手も反論の材料がなくなる。ならばそれが相手の満足につながるかと言えば決してそうではない。これはなかなかわかっていても変えられない。今でも「社長を立てる」ということを常に意識するようにはしているが、何かあればすぐ論理的にやり込めてしまうところがある。なかなか難しいところである。
上司に対して何か物言いを入れたい場合、最近では一呼吸置くようにしている。その場ですぐに言うのではなく、グッとこらえて最低でも一晩置く。これによって冷静に言うべきかどうかを考えるようにするのである。それで完璧と言うわけではないが、ある程度は言葉の棘を取り除く効果はあると思う。やはり相手には相手の考えがあるわけで、いくらこちらの意見が正しいと思っていても、相手に考えを変えさせるためには配慮が必要だろう。
ちなみに議論となった時になるべく断定的に話さないのも1つのコツである。「〜であればどうしましょうか」と言う疑問形にするのである。すると相手も考える。そうしてこちらの考える結論にうまく誘導できれば(冷静に考えれば結論には簡単にたどりつけたりするのである)、相手は自分の意見として私と同じ意見にたどり着ける。そうなれば話は簡単で、苦労は少ない。ストレートに投げ込むだけがすべてではない。うまく変化球を使いこなすことも必要だろう。
もう一度、大学を卒業した時点に戻って社会人生活をやり直すことができたなら、私は今度はうまくやれそうな気がする。無用な対立を招くのではなく、うまく自分の心と折り合いをつけながら相手の立場・考えを尊重して対応できるような気がする。ひょっとしたらその時は頭取も夢ではないかもしれない。妄想の世界であるのは残念であるが、現実の世界も明日からやろうと思えばできることである。
明日からやれることであるなら明日から意識して心がけようと思う。これからそう言う事の1つ1つが息子にしてやれるアドバイスになる。そう考えて、前向きにやりたいと思うのである・・・
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