2016年11月6日日曜日

遺体ホテルに思う

日経ビジネスのサイトより
 日経ビジネスオンラインの記事で、「死者のホテルが繁盛する時代」という記事を読んだ。人の死後、諸般の事情があって保管場所のない遺体や火葬場の不足による「待機遺体」を安置しておく「遺体ホテル」の記事である。まぁ、今の時代家も狭かったりして、遺体を安置しておくスペースがないというのは、都心では不思議ではないと思うが、そんな記事を読んであれこれと考えてみた。

現代ならではのビジネスと言えるのだろうが、やはり当初は近隣住民による反対運動があったらしい。反対する理由はよくわかるが、そこでその理由を改めて考えてみた。日本人は伝統的に死を「穢れたもの」として忌避している。葬式の帰りには清めの塩を撒くし、不動産業界では、墓地の近くの住宅はそうでないものと比較すると価格は落ちるし、人が死んだ部屋は「事故物件」として扱われる。死に関するものは、何となく嫌なものというイメージが拭えない。

いつも愛読している『逆説の日本史』シリーズによると、それは日本の歴史始まって以来の傾向で、恨みを持って死んだものは怨霊になり、それを恐れ、鎮めるために日本人は外国の宗教を柔軟に受け入れてきたのだという。平安時代以前に遷都が度々行われたのも、天皇の死によって街全体が「穢れたもの」とされたからという意見が展開されているが、なるほどと思うことが多々ある。

「穢れ」については、あまり詳しい意味はわからないが、何となくそれに触れると、自分に移ってくるイメージがある。だから「死」などは、それが伝わって身内の不幸に繋がったら嫌だという気持ちになるものだし、だからたぶん人々から嫌がられるのだと思う。「遺体ホテル」は現代では必要な施設なのだろうし、頭でその意味は理解できても、でも「遠くに建ててね」というのが本音なのだろうと思う。英語で言う“Not in my backyard”と言うヤツである。

 実家の近所には桐谷火葬場があって、霊柩車や喪服を着た人たちを数多く見かける。しかし、近くを通っても別に嫌な匂いがするわけでもないし、不快な気分になることはない。「遺体ホテル」なら尚更周囲に対する悪影響なんてないであろう。ならなぜ近所で反対運動が起こるのかといえば、やはり「気持ちが悪い」と言う「気分の問題」だと思う。「臭いものには蓋をしろ」ではないが、身近なところになければ日常生活で連想することもないし、それによって「穢れ」からは離れていられるように思えるのかもしれない。

江戸時代に穢多非人として差別されていた人たち(屠殺など死を扱う職業の人たちだ)は、村はずれに追いやられてひっそり暮らしていたと言う。目につかないところにおけば安心というのは、昔から変わらぬ心理状況だと思う。かくいう自分も、もし自宅の近くに「遺体ホテル」ができるとなったらどう思うであろうか。何となく構わない気もするが、自宅の「資産価値」は確実に影響を受けるだろうから、その意味では抵抗があるかもしれない。

記事の中で驚かされたのは、高層マンションの中には管理規約で遺体を持ち込むことが禁止されているところがあるというところだ。病院とかで亡くなった場合、自宅へ戻せないという事態になりうるわけである。それはさすがに如何なものかと思わされる。もっとも自分の身内や親しい人であれば「死体」も気味悪くないが、赤の他人であれば嫌悪感を抱くかもしれないし、わからなくもない。だとしても、禁止するのは如何なものかと思わされる。もしも自分が死んだ場合であれば、そんな扱いをされればいい気分はしない(死んだ後にそんな気分を味わえればの話であるが・・・)

そんなマンションにはこっちから願い下げだと思うのであるが、考えてみれば、今の戸建ての自宅だって棺桶のまま入れるとしたら玄関から運び込めても、確実に部屋に運び入れれるのは無理である。自分の子供たちはその時どうするんだろうと、今から思ってみたりする。やはり「遺体ホテル」というのも、必要不可欠な施設なのかもしれない。

その昔、武士はいかに死ぬかということを考えていたというが、現代に生きる我々は死んだ時のことを考えておかないといけないということなのである・・・



【今週の読書】

 
 
    
 

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