グアムに遊びに行った時の事だ。
現地のウォーターパークで遊んでいたところ、妻が突然見知らぬ家族に話しかけられた。
話を聞くとなんと我々と同姓だという。
(長男がネーム入りの水泳帽を被っていたからわかったそうなのだ)
実は私の苗字はちょっと珍しい部類に入ると思う。
これまで46年生きてきて、同姓の赤の他人に出会ったのはこれで3人目というくらいだ(この家族の人たちは初めてだったそうである)。ご主人に聞いたところ、お互いの父親の出身地は長野県の富士見という町の近郊で、ほとんど同じであった。
「ルーツは一緒なのかもしれないですね」と短い立ち話をして別れた。
私の父親はその長野県の富士見で生まれ育った。
今でもそこに行くとさすがに同姓の家がけっこうある。
その町(昔は村だった)で、私の知る限り祖先は4代前まで遡る事ができる。
名前がわかる範囲で、という意味だ。
(以前戸籍をもらったのだ)
極めて少ない情報ながら、わかっている範囲内だと4代前のおばあさんは安政3年の生まれ。
西暦で1856年。その3年前にペリーが浦賀に来航している。
今NHKでちょうど『龍馬伝』をやっているが、まさにそんな激動の時代。
開国の雰囲気は長野県の田舎町には伝わっていたのだろうか。
3代前のおじいさんは明治13年の生まれ。
25歳で結婚し、26歳の時に祖父が生まれている。坂の上の雲の時代だ。
どんなご先祖様だったのか、名前とわずかな情報しか手掛かりがないからなんとも言えない。
たぶん代々農家だったのだろう。
昔何かで見た明治初期の農家の人々の写真が脳裏に浮かぶ。
以前父から昔の祖父の苦労話を聞いた事がある。
やっぱりいろんな事に悩みながらも、毎日の晩酌を楽しみに子供たちを育てていたのだろうか。
血は繋がっているのに、4代前になると何にもわからなくなってしまうというのもちょっと寂しい気がする。昔の、それも奥深い田舎の事だから写真も残っていない。
ご先祖様は今の私の暮らしぶりを見たら、果たしてどんな感想をもらすだろう・・・
翻って考えると、将来自分の子孫たちもやっぱり同じような感想を持つのだろうか。
4代あとの孫はどんな暮らしをしているのだろう。
幸い現代はいろいろな記録メディアがある。
写真やビデオはデジタルだから残るだろうか。
このブログはどうだろう。
密かにつけている日記なんか、読んだらびっくりするかもしれない。
「昭和39年生まれのおじいさんは面白い人だったようだ」
そんな評価が語り継がれるといいなぁと思うのである・・・
【本日の読書】
「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」岩崎夏海
「日暮らし(下)」宮部みゆき
0 件のコメント:
コメントを投稿