「ジミー、リンカーンって知ってるだろ?リンカーンがお前の年の頃には、暖炉の明かりで勉強してたんだぞ。それぐらい勉強したんだ」
「ふうん。パパ、ボクも言っていい?」
「なんだ?」
「リンカーンはパパの年の頃には、アメリカの大統領だったよ」
アメリカン・ジョーク
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二人の子供の父として、子育ては一応いろいろと考えてやっている。決して子供の躾は妻の責任などと言って責任回避する事はしていない。あれこれ迷う事もあるが、そんな時一つの指針となるのがやっぱり自分の経験だ。
子供の頃、誰でも親には叱られる。私もそうだったし、だからといってそれで親を恨むという事もない。だがどうしても子供心に納得のいかない事があった。そしていつか自分が子供をもったらそういう叱り方はするまい、と心に誓った事がある。それが「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」というセリフだ。
男二人の兄弟の長男であった私は、弟としょっちゅう喧嘩をしていた。そしてその都度親に叱られたものであるが、その時よくそう言われたのである。「同じ兄弟なのに僕ばかりずるい」と思ったものである(そして怒られている私の横で弟は舌を出していたりするのである)。親からすれば言っても聞かない次男に言い聞かせるより、長男に言い聞かせた方が早いという判断で、それは現在二人の子供をもってみるとよくわかる。だが、当時は不公平だ、長男は損だと思っていた。
現在長女にはやっぱり「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」と言う事がたびたびある。だが長女はそれに対して「ずるい」とは言わない。なぜかと言えば、長女には事あるごとに「差をつけている」からだ。それはささやかな事で、例えばみんなでイチゴを食べる時に弟よりこっそり数を多くしてあげるといった程度の事だ。「これはお姉ちゃんとしていつも我慢している分」と囁いて渡すのである。その都度長女は長女としてのメリットを密かに享受している。
あらかじめ長女には、「我慢して差をつけてもらうのと平等にするのとどちらがいい」と聞いている。長女の答えは「我慢する」だった。だからだろう、「お姉ちゃんだから我慢しなさい」と言ってもそれに対しては不満の声は上がらない。
もっともある時から親も私にそう言わなくなった。いつだったか、やっぱり「お兄ちゃんだから我慢しなさい」と言われた時に、我慢しきれずに反論したのだ。「そんな事言っていつも僕ばかり我慢させられているけどね、僕は今の弟の年には『お兄ちゃんだから我慢しなさい』と言われて我慢していたんだよ、もう弟だって我慢できる年頃だ。今度は弟に我慢しなさいって言ってよ」と。
今から思うと親だって完璧ではない。今の自分より若かったわけだし、無理からぬ事である。しかしながらそうは言っても子供心に不公平感は拭えなかったのは確かである。今でも親から「お前には理屈では適わない」と嘆かれている。すでにこの頃、その片鱗を見せていたわけだ。それが子供心に育まれた反発心から生まれたものだとしたら、悪いとも言い切れない。反面教師という事もある。
さて我が娘はそういう私のやり方をどんな風に受け止め、そして自分の子供に対してどんな風に対処していくのだろう・・・想像してみると面白いものだと思うのである・・・
【本日の読書】
「永遠の0」 百田 尚樹
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