「永遠の0」を読んでいて考えた事の続きである。
印象的なエピソードがある。特攻第1号となった関行男大尉の話である。関大尉は新婚の身であり、母一人子一人という境遇であったが、苦渋の決断で任務を受け入れ、米空母撃沈という戦果を上げる。
祖国に残った母親はたった一人の子供を失ったが、「軍神の母」として周りの人達から畏敬を受ける。その心中は察するものがある。ところが、戦後は特攻批判の逆風に晒され、一人行商で生計を立てつつ昭和28年に亡くなっている。
軍神とおだてたのも、戦後は掌を返して批判したのもマスコミであり、それを真に受けた周りの人達である。関大尉もその母も何ら変わったものでもない。その場の雰囲気の中で報道するマスコミと、それを盲目的に信じる国民という構図は、現代でもそのままである。
私も銀行に勤務し、かつてのマスコミの「貸し渋り批判」を苦々しく思っていた。貸せば「ずさんな融資」と批判し(新銀行東京など良い例だ)、貸さなければ「貸し渋り」と批判し、ではその基準は何かと示すわけでもない。不況になればみんなお金を借りるのを控える。だから銀行貸出残高は当然下がるのだが、「貸出残高が下がった」という事実だけで、「銀行の貸し渋り姿勢鮮明に」という記事を平気で出していた。世間の人は「そうなんだ、ひどいな」と受け止めた。
だからというわけではないが、今は新聞の記事を読んでも、そのまま受け止めることだけはやめている。例えば今は小沢さんの記事一色であるが、マスコミが批判論調を強めれば強めるほど、冷静に「事実はどうなのか、それをどう捉えるべきか」と想像している。別に小沢さんを擁護するつもりは毛頭ないが、それ以上にマスコミは信用しないようにしているのだ。
ちなみに田中角栄をロッキード疑惑で叩いたのは、親米路線を変更した角栄さんを引きずり倒そうとしたアメリカの意思だと言われている。事実、事件はアメリカ議会における証言からスタートしたし、【反転 闇社会の守護神と呼ばれて】という本では、「不思議な事にアメリカ側から次々に証拠や証言を得られて、非常にやりやすい裁判だった」という記述がある(この本は別にロッキード事件を扱ったものではない)。小沢さんは田中角栄の影響を強く受けているし、アメリカから中国に軸足を移そうとしているところまで一緒だし、ひょっとしたら裏に何かあるのかもしれないと勘繰ってしまう。
いずれにせよ、世の中の動きを観察し、マスコミの報道は見ても聞いてもそのまま受け止めずに、まずはいろいろと想像してみる、考えるというスタンスだけは持っておかないといけないだろう。よくよく心掛けておきたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「ゴールドラッシュの超ビジネスモデル」野口悠紀雄
「永遠の0」百田尚樹
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