伯父が亡くなった。
伯父は長野県の、東京から行けば軽井沢の少し先にある御代田という町に住んでいた。
雄大な浅間山が聳えるその麓の町である。
小学校三年生の頃から一人でそこに遊びに行っていた。
伯父の次男(つまり私のいとこ)が私と一つ違いであり、ウマがあったこともあって春夏の休みには10日~2週間は滞在していた。
東京生まれで田舎のない私にとっては故郷の代わりになる所だった。
それが高校に入るまでの私の年間最大イベントであり、最も楽しい事であった。
そんな私だからか、伯父も伯母も事のほかよく可愛がってくれた。
寡黙な伯父は仕事から帰るといつも晩酌をしながら我々の遊ぶのを眺めていたものだ。
もともと具合が悪く入院していたが、行っても既に私の事がわからなくなっていたため、ここのところはずっと見舞いにも行っていなかった。
そしてとうとう「その日」が突然やって来たのだ。
お通夜から参加。
伯父の死に顔は記憶にあるその顔とは別人のようであった。
集う親戚。こんなにいたのかと改めて思うほどだ。
懐かしい顔もあった。中でも伯父の長男の子供が大きくなっているのに驚いた。
確か遊んであげた時は5歳だったやんちゃ坊主が19歳の若者になっていた。
茶髪を後で束ね、ピアスを光らせた彼をいつのまにか見上げる立場になっていた。
伯父伯母たち年寄りはみな変わらない。
でも甥だの姪だのの子供たちはみな10~20代。
誰が誰だかわからない。
そんな集まりゆえ、自然と昔話に花が咲く。
通夜にも関わらず、湿っぽさはまるでない。
伯父の遺体の横で笑顔溢れる集まりだ。
考えてみれば、これが伯父の最後の招集だったのだろう。
賑やかな方がかえってよかっただろうと思う。
一方で子供の頃、従兄弟と遊んだ御代田の家の周辺は、あちこちに新築の家やアパートが建ち並び、道路ができてと様変わりだった。
あの頃の面影が消えつつあり、その方に寂しさを感じた。
酔い覚ましに外に出ると、冷たく澄んだ夜空には満天の星。
東京でもオリオン座は見られるが、星々の中から浮かび上がるオリオン座というのはちょっと見られない。そういえば夜空一杯の星を眺めるのも楽しみであった事を思い出した。
家の周辺は変わっても夜空は昔のままだった。
葬儀が終わって帰って来ても伯父が死んだという実感はない。
今でも御代田に行けば笑顔で迎えてくれそうな気がする。
でもきっとそうなのだろう。
人は死んだらどうなるのかという事はよく言われるが、たぶん伯父は今でもあの頃の御代田のあの家のいつもの指定席に座って晩酌をしているのだ。
そしてなかなかそこに行く機会がないだけなのだ。
いつかそこに行けるのだろうが、それまでは遠くにありて思う故郷に今でもあのままでいるのだと思いたい・・・
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