2026年3月15日日曜日

恐いもの

せめておそろしきもの よる鳴る神。近きとなりに盗人の入りたる。わが住む所にきたるは、物もおぼえねば、何とも知らず。近き火、またおそろし。
枕草子
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 私は昔から怖いもの知らずとまではいかないが、比較的怖いものなく過ごしてきたように思う。もちろん、子供の頃はお化けが怖くて、長野県の御代田にあった従兄弟の家に遊びに行った時には夜怖くてトイレに行けなかったのを覚えている。そういう子供時代を経て、いつしか幽霊の類は信じなくなってしまったし(いるならむしろ見たい方である)、中学生時代に怖かったツッパリ系の先輩や同級生もラグビーを初めて体を鍛えるようになって怖さはなくなった(周りにもいなくなったが)。それでも世の中恐ろしいものはあると思うが、少なくとも身の回りにはないのが大きい。

 それでは今は何も怖くないと言えばそうでもない。考えてみれば今一番恐ろしいのは「失職」だと断言できる。失職するくらいならまだ死んだ方がいいかもしれないと思うくらいである。大袈裟のように思われるかもしれないが、心底そう思う。もちろん、今の世の中、失職したところで職を選ばなければ何でもあるだろうし、生きていく事は十分可能である。正確に言えば「失職」というよりも今の「収入」だろう。まだ長男も大学生であり、就職までは教育費もかかるし住宅ローンも残っている。今の収入が減ることはすなわち生活の質(Quality of Life)の低下に直結する。

 銀行を辞めた時は次を決めていたのでその不安はなかった。収入は下がるものの、まとまった退職金を得られるし、新たなチャレンジと前向きに捉えられた。しかし、その時の社長の裏切りで突如失職するとなった5年前は恐怖であった。その時は会社の業績を大きく立て直して自分の給料も大幅にアップしていたし、転職など考える必要もなかった。それが突然バッサリ切られて心の中では右往左往が始まった。50代半ばでは公の転職市場ではほとんど価値がなく、収入も良くても半減だろうと思われた。子供は2人とも学生。目の前が暗くなった。

 そこで確認したのが生命保険。「自殺でも保険は下りるのか」を確認した。自殺するつもりはなかったが、自分が生きていた方がいいのか、死んだ方がいいのか。冷静に比較してみたいと思ったのである。その結果、「家族にとっては死んだ方が経済的にいい」という自分にとっては非情な現実であった。死ねば団体信用生命保険で住宅ローンは完済される。生命保険で当面の生活費も学費もすべて賄える。だが、生きていると、子供たちは大学を諦めなければならないかもしれない。家も手放さなければならないかもしれない。生活の質の低下が自分たちの責任ではなく、父親の責任だとしたら、家族はそれでも父親を恨まないだろうか。

 自分が死ねば家族はその時は悲しんでくれるかもしれない。しかし、生活の質は維持されるし、悲しみは時間と共に薄れていく。子供たちは自分たちの人生に向かっていける。それを考えた時に、「生きていた方がいいです」と安易に言うのは実に無責任である。結局、その時は無事知人の紹介で今の会社に就職し、実力を認められて取締役にも取り立ててもらった。その分、実績は上げているつもりではあるが、取締役は解任されればそれまで。任期に再選されなくとも同様。不安定な立場であることは事実である。その座に胡座をかく事なく、組織に貢献し続けないといけない。

 「不安とは、『起きるかもしれない事』」という言葉がある。実際には起きていないだけに、過度に心配する必要はない。しかし、『起きるかもしれない事』は起きるかもしれないのである。いかにしたらそういう事態が起きないで済むかということは常に意識しないといけない。私にとって最大の恐怖を取り除くために、そういう不安は常に背中合わせに感じていないといけないと思う。世の中には左団扇で穏やかに日々を過ごせる羨ましい人がいるのも事実である。そうでないのを恨んでも仕方がない。息子が卒業するまでもう少し。日々緊張感を持って働いて恐怖に立ち向かっていこうと思うのである・・・


EnriqueによるPixabayからの画像


【今週の読書】
 全体主義の起原2 新版――帝国主義 全体主義の起原 新版 - ハンナ・アーレント, 大島通義, 大島かおり  生殖記 - 朝井リョウ  万物の黎明~人類史を根本からくつがえす~ - デヴィッド・グレーバー, デヴィッド・ウェングロウ, 酒井 隆史




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