【原文】
子曰、三軍可奪帥也。匹夫不可奪志也。
【読み下し】
子曰く、三軍も帥を奪う可きなり。匹夫も志を奪う可からざるなり。
【訳】
先師がいわれた。「大軍の主将でも、それを捕虜にできないことはない。しかし、一個の平凡人でも、その人の自由な意志をうばうことはできない」
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傍若無人のアメリカは、軍事力でベネズエラの大統領を拘束し、イランのハメネイ師を空爆で殺害しとやりたい放題であるが、確かに実力行使で敵のトップを捕えたり殺害したりするのは容易になっている。しかし、個人の考え方を変える事は(言う事を聞かせる事はできても)いかに世界最強のアメリカでもできないだろう。孔子の時代からそれは変わりないということ。心の中は人それぞれの自由であり、誰もその自由を奪う事はできない。要は人はそう簡単に考え方を変えないということでもある。
それは私自身も実体験として体感している。前職では私は小さな不動産会社で働いていた。高校の先輩でもある社長に誘われたのであるが、赤字まみれのその会社を立て直すべく奮闘した。経営の方向性についても積極的に意見具申し、実行においても先頭に立って自ら動いた。その結果、私が入る前は9年間で7年赤字を計上し、累積損失は1億4千万円を超える状態だったのが、6年連続の増収、黒字計上(残念ながら増益ではなかった)で累積損失は一掃という結果を残した。しかし、その過程は社長との議論が常であった。
社長は金持ちのボンボンで、会社もお父様が設立し、社員を集めて自ら会長を務めて経営の舵取りをしていたというものである。それがお父様が亡くなってから迷走。赤字を垂れ流す有様となっていた。要は経営能力がなかったのである。私の意見具申もことごとく反対にあう有様であった。いくら私が理論的に説いてもそれを受け付けない。渋る社長を説き伏せるパターンが多かった。私も会社が潰れれば自分の生活も危うくなるので一歩も引かなかった。結果的には私の思惑通りになるのだったが、社長を説き伏せるのが何よりも大変であった。
ある時、社員をもっと大切にしようという話をした。わざわざ『ありえないレベルで人を大切にしたら23年連続黒字になった仕組み』という本を紹介して読んでもらい、その上で話をしたのであるが、残念ながら「理解できない、そこまでしたくない」と言われてしまった。もともと社員の給料はビックリするくらい安く、増収に伴って給与アップを提案したが、抵抗されて思うように上げてもらえなかった(私は銀行員時代よりは大幅に下がったが、まぁ悪くはなかった)。そこには社員の給与=コストという考えが根付いていて変える事はできなかった。
そのほかにも経営には「損して得とれ」的なところが多くある。「サービスが先、利益は後」と言い換えることもできるが、それが受け入れてもらえない。どうにも目先の損得を優先して考えるところから抜け出てもらえなかった。のちに不動産を販売するにあたり、会社としてのコンセプトを決めて売り出そうという話になったが、とうとう社長の意見との溝が埋まらず決められなかった。最後は黙って会社をM&Aで売り払い、全社員をろくな保障もせずに解雇するという行動に出たのも、「らしい」と言えば「らしい」ものであった。
今の会社でも社長とはすべての考えが一致しているわけではないが、その時の経験を思い出しつつ、「人の考えは変わらない」という前提で行動している。どんなに理屈が通っていてもそれは変わらない。戦時中に共産党員が逮捕されて拷問されて死亡したりという事件があったが、それも人の主義主張はそう変わらないという事の証であろう。それを嘆いても自分の考えがどんなに正しいか力説してもすべて無駄であると思う。確固たる考えとして確立されていないものであれば別であるが、そうでなければ当てはまる事だろう。
そういう私にも変えられない主義主張というのはあるが、仕事においては「柔軟性」を意識している。社長も部下も思うように動いてくれるわけではない。ならば自分はそれを前提にどうするか柔軟に考えていくしかない。自分の意に沿わずとも、相手が納得するのであれば柔軟に折れることも必要だろう。それで結果が出なければ相手の考えも変わるかもしれない。心の中は自由であって考えは変えなくても、行動は柔軟でありたいと思う。
意見具申の精神は大事にし、自分の意見はわかりやすく相手に伝える。それでも伝わらなければそれは仕方ないと柔軟に受け止める。そういう風にしていきたいと思うのである・・・
【今週の読書】


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