2025年1月27日月曜日

批判する人

どこにでも他人を批判する人というのはいる。我が社にもご意見番的立場の方がいるが、やはり常に人を批判している。その批判は間違っているとは思わないが、いつもいつも批判ばかりだと聞かされる方は辟易してくる。間違っているとは思わないが、正しいとも思わない。それは、ご意見番の批判を聞いて批判の対象となっている人に事実確認をしてみると、そこには止むを得ない事情があったりするのである。物事は一面的に見ても正しくは見えない。円柱も上から見れば円だし、横から見れば長方形だ。だが、円柱の形を円だとか長方形だとか言っても(間違ってはいないが)正しくはない。それと同じである。

私が尊敬する福川先輩が、常々「複眼的思考」ということを仰っていた。物事を多角的に見るという事で、一つの見方だけではなく、いろいろな人の意見を聞き、自分の知らなかった面を含めて総合的に物事を捉える事によって、偏りのないものの見方をしようという事である。我が社のご意見番の意見を聞いていると、本当に複眼的思考の重要性に気付かされる。ただ、役に立たないかというとそうではない。ご意見番の批判はそのままでは受け取れないが、「問題の存在」に気づかさせてくれるという意味では大いに大事だと考えている。問題がある事すらわからない事から比べたら、よほどマシであるからである。

そうした問題についてどうするか。できればご意見番には批判だけではなく、「どうしたらその批判対象を正せるか」まで考えて行動してくれるとありがたいのであるが、そこまではしてくれない。「あいつはダメだ」で終わってしまう。そこまでやってくれたらもう拝むしかなくなるのであるが、そうではないところがご意見番の限界なのかもしれない。そこまでやる方であれば、今頃副社長くらいにはなっていたかもしれない。私も貴重な「ご意見」を聞いた以上、聞き流すわけにはいかない。密かに本人に意見を聞き、改善に動くようにしている。

「批判する人」ほ「批判する」だけでは自分も同じ穴のムジナになってしまう。「批判」それ自体は悪いことではない。ただ、そこに「改善提案」があった方がいい。そしてビジネスの現場では、実際に自分で改善に動かないなら批判すらするべきではないと思う。なぜなら「批判だけの批判」は害にしかないからである。ご意見番の批判を毎日横で聞かされていて、私の精神的健康が害されているように、それは誰かに悪影響を与えるかもしれないからである。

私の友人にも常に自分の職場の同僚や上司を常に批判する者がいる。毎回会うたびに他人批判を聞かされるので、私も会うのが億劫になって(最近はほとんど会っていない)しまったが、人によってはそういう反応を招いてしまうだろう。他人を批判したくなる気持ちはよくわかる。ただ、私も人を批判して批判だけで終わるようにしないようにしたいと思う。特にビジネスの現場では下の人たちからの視線もある。そこは「人の振り見て我が振り直」したいと思う。

考えてみれば、他人批判をする人を見れば自分のなすべき事がわかる。その良くない所が自分がなすべき事になる。そういう意味で、「批判する人」は自分の反面教師になってくれているとも言える。モノは考え方一つという部分もある。他人批判から自分も大いに学んで自分の改善に役立てたいと思うのである・・・


Gerd AltmannによるPixabayからの画像

【本日の読書】
「戦後」を読み直す 同時代史の試み (中公選書) - 有馬学  戦略文化 脅威と社会の鏡像としての軍 (日本経済新聞出版) - 坂口大作





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