2020年12月20日日曜日

意味がある

 以前、マンションの管理組合の総会に出席した時のこと、その時は「経費削減」が一つのテーマであった。そこで検討されたのはケーブルテレビの解約。なくても良いのではないかと。それにあたっては、現時点で契約している家庭が何軒くらいあるのかとなり、マンションの管理会社の担当者がケーブルテレビの会社に事前に聞いてくれていた。ところが教えてもらえなかったと言う。理由は「個人情報の保護」である。さも仕方ないと言う感じで報告した担当者に感じたことは、「考えていない」ということである。

 「個人情報」ってなんなのか。文字通り「個人を特定する情報」である。では、そのマンションにおけるケーブルテレビの「契約件数」が個人情報だろうか。ちょっと考えれば(考えなくても)わかりそうなものである。もしも報告通り「件数」を聞いたのに教えてもらえなかったのであれば、それはケーブルテレビの担当者も聞いた管理会社の担当者も共にわかっていなかったということになる。あるいは、「誰が契約しているのか」と聞いたのかもしれない。その場合は、管理会社の担当者が「何軒?」と聞き方を変えればよかったのである。何れにしてもわかっていない。

 車や家を買う時、銀行から融資を受ける時、いずれも実印を押し、印鑑証明書を提出する。それはなぜかと言えば、「本人確認」のためである。大きなお金が動くとき、あるいは銀行が融資する時、重要なのは相手が本人かどうかである。偽名を使われて詐欺などに悪用されては困るわけで、だからこそ国が本人確認を行なった実印で取引を行うのである。新聞の契約などは、家もわかっているし金額も月々せいぜい5,000円程度だし、悪用されても高が知れている。だから認印でも構わないのである。

 信用金庫でお金を借りる時、いつも納税証明書の提出を求められる。これはきちんと税金を払っているかどうかの確認である。税金の未納は資金繰りが苦しいことの裏付けともなる。決算内容や資金使途を偽ってお金を借りようとする者の嘘を見破る1つの方法である。機械を買う場合にはその機会の見積書が必要であるが、それは確かに「その機械を買うのに(融資金を)使う」という確認である。およそそうした行為にはなんらかの意味があるのである。

 我が社でも在宅勤務を始めるべく、手続きを進めている。先日担当者が情報の持ち出し簿のフォーマットを作って持ってきた。「これは何の為に必要なのか」と問うと、「責任の所在を明らかにする為」と答えてきた。「ではダウンロードする場合は?」と問うと、それも必要だと言う。その場合、どうやって持ち出す情報を特定するのかと問うと、担当者もフリーズしてしまった。サーバーにアクセスすればかなりの数の情報にアクセスできる。とても持ち出し簿では管理できない。

 私はもともと銀行員時代にこうした考え方を身につけたのであるが、「意味を考える」ことは何においても大事なことである。仕事でも日常生活でも然りである。特に仕事においては、管理職であればなおさらと言える。管理職は時として判断をしないといけない。部下から指示を求められた時、それがイレギュラーな場合は特に前例がなかったりする。そうした時に適切な指示を出せるかは、この意味を考えられないとできない。それにはどんなリスクがあるのか、それを回避する為にはどんな方法があるのか。

 意味を考えられない部下は、ただ言われたことだけを機械的にやるだけの存在である。意味を考えられれば、おかしな指示を出された時に上司に確認することができる。そうでないと、上司が間違った指示を出したら止まることなく実行されてしまう。オレオレ詐欺でお年寄りが言われるがままATMを操作して振り込んでしまうのも、「意味を考えられないから」に他ならない。相手を無条件に信用するのも悪いことではないが、意味を考えられれば相手の悪意を回避できたりする。

 そういうことは、日頃から癖をつけておく必要がある。なぜ本人確認資料を求められるのか(そういうケースは多々ある)、家を買ったり借りたり、入会したりする時に資料を求められるケースがあれば、なぜそれが必要とされるのか考えてみるのもいいトレーニングである。わからなければ聞けばいい。ひょっとしたら相手もわかっていなくて、ただ「決まりだから」としか答えられないかもしれない。そういう知的好奇心がないと、やがてオレオレ詐欺の被害者に名前を連ねることになるかもしれない。

 「考える」ことは重要である。「考える」と言っても「頭の中で何となく思う」ことではない。「その意味を理解し筋道を立てて説明できるか」である。最近、いろいろと身の回りでそういう事例に接し、つくづくそう思うのである・・・


Gerhard G.によるPixabayからの画像 

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