前法務大臣の河井克行容疑者と妻で参議院議員の河井案里容疑者が、2019年の参議院選挙をめぐり公職選挙法違反の買収の疑いで東京地検特捜部などに逮捕された。克行容疑者は、案里容疑者への票の取りまとめなどの依頼の報酬として、91人に対し116回に渡り合わせて約2,400万円を配ったほか、夫婦2人で共謀し、5人に票の取りまとめなどを依頼。合わせて170万円を配った疑いだという。
議員の汚職など珍しくもないという感覚があるが、我が地元選出の菅原一秀議員も公職選挙法で禁じられた香典を配ったとして経産相を辞任している(不起訴処分)。公職選挙法違反ということであれば、それは確かに許されざることであるが、なぜ公職選挙法で禁じられているのかと考えてみるとよくわからない。時として、ふとこんなことを考えてしまうのである。そもそも論として、なぜ現金を配ってはいけないのだろうか。
選挙に出るとなれば、それは知り合いに片っ端から声をかけて「よろしく頼む」ぐらいは言うだろう。票の取りまとめだってするだろう。それ自体はおかしくないし悪くもない。問題はその時、「謝礼」としてお金を渡すことだろう。お金だけではなく、「飲食」の提供も禁止されている。「お金でなければいいだろう」と言う抜け穴をふさぐ意味であると思われるが、なぜこれらの「謝礼」がいけないのであろうか。
普通に考えると、禁止される理由としては「選挙の公正さが損なわれる」という考え方があると思う。金持ちが有利になり、金のない者が不利益になるということだろう。ではそれがなぜ悪いのであろうか。たとえば私がもし、選挙前に「よろしく頼む」とお金をもらったら、選挙の時にその人物に投票するかどうかとなれば、あくまでもその人次第である。お金をもらってももらわなくても、投票すると決めた人には投票するし、しないと決めた人にはしない。
お金をもらっても投票するかどうかは有権者一人一人の問題であり、早い話がお金をもらって投票しなくてもバレはしない。ただ、居心地の悪さは残るだろうが、それを気にしなければいいだけである。個人的にはお金を配りに来てくれれば大歓迎である。もっとも今回の都知事選のように投票したい人がいないような場合には、「考慮」するとは思う。河井夫妻がお金を配った相手は91人とのことであるが、この人たちの票の取りまとめ能力がどのくらいあったのかは興味深いところである。
選挙がお金のバラマキ合戦となれば、そのお金をどうするかが問題になる。持っている人はいいが、持っていない人は困る。持っている人も無尽蔵ではないだろうから選挙のたびにバラマキもできない。となれば、在職中に地位を利用した資金稼ぎに出ることは考えられる。議員になればいろいろと利益誘導もできるであろう。右から左から便宜を図ってほしい人たちが札束片手に日参するかも知れない。議員の口利き1つで、学校が設立されたり、裏口から入学できたり、公共工事が取れたりするのかもしれない。
それらが単に「不公平」程度であればいいが、議員にお金を渡して工事を獲得し、議員に渡したお金を回収するために手抜き工事で利益を浮かすようなことになれば一大事である。金持ちのバカ息子が学校に入るくらいであれば弊害も少ないと思うが、公共工事とか社会のインフラに関するようなものであると危ないケースもあるだろう。我々の社会は過去にそういう経験をして贈収賄を禁止しているわけである。
そう考えてみると、議員がお金を配ること自体は大したことはないのかもしれないが、そういう考え方が「良い」とされると、巡り巡って結局社会に悪影響を及ぼすということが考えられるかもしれない。入り口の小さな芽から摘み取るという意味では、飲食や香典などにも禁止の網を広げるというのは、やはり正しい判断なのかもしれない。当然、そんなことは百も承知でお金を配ったのであろうが、「バレないと思ったのか」は非常に興味のあるところである。
受け取った人の中には自治体の町長さんなどもいるそうで、もらう方の問題もある。私であれば遠慮なくいただくが、公職にある人なら当然いわれのない現金を受け取ることに対する警戒感、忌避感は持っていないといけない。それでも受け取るということはお金の魔力なのか義理なのかこれも非常に興味深い。いずれにせよ、やっぱりお金を配るという行為は禁止されて当然なのだろうなと何となく納得する。
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