2019年5月10日金曜日

運転免許に年齢制限は必要か

運転免許の更新案内が届いた。前回の更新から5年。早いものである。免許を取ったのは大学に入学してすぐだから、もう35年前である。最近、18歳の娘が免許を取得したが、免許証とは長い付き合いになるのだろう。果たしてあとどのくらい運転するのだろうかと考えてみるが、免許に関してはあまりいつまでということを考えたことはない。そう言えば、今年82歳になった父も先日免許証を更新したと言っていた。父は既に車を廃止してペーパードライバーになっているが、やっぱり免許だけは更新しておきたかったようである。

そんなことをふと考えたのも、最近高齢者ドライバーによる事故があり、免許に関する年齢制限が話題になっているからである。個人的にはこの議論については、「制限を設けるべき」だと考えている。ただ、そうすると地方に住む高齢者の足がなくなる等の反対意見もある。だが、地方に住む高齢者すべてが免許を保有しているわけではない。長野県の富士見に住む伯父夫婦も伯母は免許をもっていない。伯父がいる間はいいが、いなくなったあとはどうするのだろうと思うが、なんとかするのだろう。なければないなりに不便だがなんとかするものだと思う。

 高齢者の運転については、別の反対意見もある。曰く、高齢者の事故が増えているのは「分母が増えているから」であり、分母の増加率と比較すれば事故の件数は増えていないというものである。また、年齢層ごとの事故発生率で比較すれば、若者の方が事故率は高く、高齢者のほうが事故を起こす割合ははるかに低いし、死亡事故件数でも若者に比べれば高齢者の事故件数は低いという意見もある。

 まぁ、反対意見もそれなりに理屈はあるが、現実問題として発生している死亡事故を見れば成り立たない反論だと思う。死亡事故と不便とを比べれば、どちらを優先すべきかは議論するまでもない。事故率や件数では若者より少ないと言っても、問題はその中身である。人間の体はどうしたって老化で衰える。「アクセルとブレーキを踏み間違える」「標識を認識できず高速道路を逆走する」なんて事故を若者がどれほど起こしているのだろうか。

 最近、シニアラグビーの練習に行くと、よく大先輩から個別練習に付き合わされる。高いキックを蹴らせてキャッチングの練習をしたいというものである。私がボールを蹴り上げて先輩がキャッチするのだが、その姿はいかにも頼りない。もちろん、元から下手だったのではない。ご本人によると、高いボールが見えにくくなっているということである。さらにボールを見上げながら落下地点に移動するという際の体のバランスもとりにくくなっているようである。もともとの上手い下手ではなく、体の機能がそれだけ衰えているのである。

 一方、衰え知らずなのは「頭の中」。自分はいつまで経っても若々しい意識でいる。「まだまだ若い者には負けない」のである。だからたちが悪い。池袋の大事故も「アクセルが戻らなかった」と運転者は語っているそうだが、警察による検証の結果はどうやら「異状なし」だったようで(『池袋暴走 事故車のアクセルとブレーキに異常なし 踏み間違えか』毎日新聞2019年5月7日 20時36分)、本人はブレーキを踏んでいるつもりで一生懸命アクセルを踏んでいたのかもしれない。体の機能の衰えは誰にでも確実に起こる事であり、万が一の事故を考えれば制限するのが当然だと思う。

 もっとも、人の体の老化は一律ではない。施設で生ける屍のようになっている80歳もいれば、かくしゃくとしている90歳もいる。一律に論じるのも無理だというなら、75歳を過ぎたら毎年厳格チェック付きで更新するようにしてもいいだろう。面倒だからと言って返上するなら望ましいところである。また、地方に配慮するというなら「地域限定免許」もいいかもしれない。当然、自分の住んでいるエリア周辺限定である。先の私の伯父などは、もう昔から「地域限定」運転に徹していて、決して高速に乗って東京方面に向かおうなどとはしない。過疎地の足なら重大事故の可能性も低くなるし、十分有効だと思う。

 都心に住む我々のような者は、もう年齢制限があってもいいと思う。都心はそれなりに移動手段もあって利便性が高い。不自由は甘受すべきなのであり、たとえ一件であろうと池袋の事故のようなボケ老人の運転で死傷事故が起こる事は回避すべきだろう。ボケ老人が生き残って未来のある若者が死ぬ不条理はなくさないといけない。この点では、確率や件数を根拠にドヤ顔で反論されてもなぁと思わざるを得ない。実にみっともない反論である。

 自分自身もいずれ高齢者となる。たぶん、まだまだ若者には負けないと思うだろうし、自分の運転は大丈夫だとも思うに違いない。だが、その時が来たら潔く免許を返上したいと思うし、ジタバタしないようにブログにも残しておきたいと思う。目標は「80歳でドライバー引退」である。まぁ、できることならば、その時までに「自動運転車」が普及していることを大いに期待したいと思うのである・・・




【本日の読書】
 



 

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