2017年6月15日木曜日

将棋と囲碁

今、帰りの通勤電車の中での読書は百田尚樹の『幻庵』である。これは江戸時代の囲碁の世界の話で、読み進むうちに例によって囲碁の歴史に詳しくなっていく。と言っても、囲碁をやったのは小学生の頃の話。読んでも専門用語はさっぱりわからず、何となくのイメージでしかない。そもそも小学生の時に囲碁クラブに入ったものの、なじめないまま終わったのが実情である。何となく囲碁のルールを覚えている程度で、とりあえず小説の方はついていっている。

なぜ囲碁クラブに入ったかと言えば、それは「将棋の延長」である。その頃、既に将棋をやっていて、そこそこ面白くなってきていて、そこで囲碁にも手を出したというわけである。しかし、将棋程のめり込めずに終わった次第である。なぜのめり込めなかったのかは、あんまり覚えていないが、「相手がいなかった」のも一つの理由だと思う。1人強い女の子がいたが、さすがに放課後どちらかの家で打つというのも恥ずかしい年ごろ。その他の友達で囲碁をやる子があまりいなかったのである。

それに対し、父の手ほどきで始めた将棋であるが、父は当時わずかな暇を見て教えてくれたのだと思うが、私はすぐに腕を上げて父を追い越してしまった。当時、祖父と叔父が強くて勝てなかったが、友人関係では小学生時代は無敵であった。まだゲームなどない時代だったから、将棋を指す友人もそこそこいたのである。しかし、囲碁はあまりいなかった。父も囲碁はやらなかったので、囲碁クラブ以外に囲碁を打つ場がなかったのである。

そんなわけで、囲碁クラブが1年で終わると(当時クラブ活動は1年単位だった)、自然と囲碁を打つ機会がなくなってしまった。当時は(身の回りでは)、囲碁よりも将棋人口が多かったと言える。今はどうなのだろう。将棋の世界では、藤井聡太四段がデビュー以来の連勝記録を伸ばしていて話題になっているが、囲碁の話題はあまり聞かない。2016年のレジャー白書によると、将棋人口は530万人で囲碁人口250万人の約2倍であるというから、感覚の通り将棋人口の方が多いようである。

将棋も囲碁も人口は減ってきているようである。今の子供たちがこれからどんどん将棋をやるようになるとも思えないから、人口はますます減っていくように思う。私が将棋を始めたのは、父親がやろうと言って教えてくれたからであり、その腕を試す友達がいて、なかなか勝てない祖父と叔父がいたからである。それでも高校に入ると「友達と将棋を指す」という雰囲気でもなくなってしまい、現在に至っているわけである。我が息子とは何度か指したことはあるが、その程度であり、当然息子も興味を持っていない。

現代はもっと面白いゲームが巷に溢れていて、わざわざ将棋を指すという魅力もない気がする。もっとも、今は将棋も囲碁もネットでできるから、「相手がいない」ということはない。会話はともかく、少なくとも「やろうと思えばできる」環境にはある。『幻庵』では相手と読み合うシーンが何度もででくるが、囲碁も将棋も頭を使うことは間違いない。自分にとってどのくらいそれが役立ったかわからないが、子供の頭の体操にはいいような気がする。

もうこれから囲碁を覚えるという気力はないが、将棋ならまた指しても良いように思う。幸い我が家には実家から持ってきた駒と将棋盤があるし、息子相手にやってみるのもいいかもしれない。ゲーム感覚で頭の体操となるかもしれず、どのくらい興味を持つかわからないが、誘ってみてみようかと思う。

早速、今度の土日でも声をかけてみたいと思うのである・・・





【本日の読書】
 
   

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