子曰。道之以政。齊之以刑。民免而無恥。道之以徳。齊之以禮。有恥且格。
曰く、之を道くに政を以てし、之を斉うるに刑を以てすれば、民免れて恥無し。之を道くに徳を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば、恥有りて且つ格し。
【訳】先師がいわれた。法律制度だけで民を導き、刑罰だけで秩序を維持しようとすると、民はただそれらの法網をくぐることだけに心を用い、幸にして免れさえすれば、それで少しも恥じるところがない。これに反して、徳をもって民を導き、礼によって秩序を保つようにすれば、民は恥を知り、みずから進んで善を行なうようになるものである
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今回の言葉を読んで真っ先に頭に浮かんだのが「税金」である。我々サラリーマンは源泉徴収されているので、普段あまり意識することはない。しかし、商売をしている人や富裕層の方は、日々血眼になって(と言ったら言い過ぎだろうか)『節税』に明け暮れている。例えば事業をしている人と話をしていると、しばし「これは経費で落ちるから」という言葉を耳にするし、みなさんの節税意識はかなり高い。
もちろん、そのすべてがおかしいというものではない。ただ、明らかにいかがなものかと思う例が枚挙に暇がない。家族で食事に行っても領収書をもらう。それは会社の経費として計上するからである。家族との食事は、本来個人で負担すべきものだが、税務署にはわからない(そこまで調べない)。自家用車だって「社用車」になるし、とにかく経費を積み上げれば利益が減って税金も減るという仕組みである。
富裕層にとってみれば、「相続対策」が欠かせない。土地が余っていれば借金をしてアパートを建てる。すると土地の評価額が下がって、総資産も負債で圧縮され相続税も下がる。現金でマンションを買えば、これも評価額が下がって相続税は減る。最近タワーマンションへの課税が強化されたのは、タワーマンションの課税方法の裏を突いた節税(もちろん合法である)が横行しているからで、これを改正した税務当局と富裕層は常にイタチごっこだ。
もちろん、こんな節税とは無縁でちきんと納税している奇特な方もいるだろう(まだお目にかかったことはないけど・・・)。「納税は社会貢献」と言う人はいるが、払わざるを得ないからそう言っているだけの「すっぱい葡萄」だったりする。それは日本だけの事ではなく、世界中がそうであり、だからパナマ文書が出て慌てふためいているのであり、アマゾンやアップルなどのグローバル企業が世界規模で「節税」しているのである。そういう自分も、富裕層の仲間に入っていたら間違いなく節税しているだろうから、それをとやかく批判するつもりはない。
そういう人々が、「徳をもって導かれたら」、果たして節税をやめてより多くの税金を払うようになるだろうか。家族で行った食事の領収書はもらわず、自家用車のガソリン代を会社の経費にするようなことはなくなるだろうか。
「ならない」と否定するのはいかがかと思うが、では「徳をもって導かれる」ことがどういうことなのか、具体的なイメージは難しい。
ただ、人は節税に血眼を上げ、己を利する事だけを考えているのかというと、そうでもない。災害時に寄付をしたりする行為は一般的だし、一財産築いたアメリカの大富豪も寄付行為や社会貢献活動をしていたりする。かく言う私も毎年ささやかながらではあるが、ユニセフに寄付をしている。その違いは何かと考えたら、それは「使い道」だろう。我々の税金がどうでもいいような三流大学の私学助成金に使われるのは我慢ならないが、発展途上国の小学校建設に充てられるなら、払っていもいいと思う。まず思い浮かぶのはそんなところだ。
財政健全化が必要だと言いながら、国会議員や公務員の数は減らず、特殊法人もなくならない。本当に必要なのか疑問に思う道路計画が身近で進められる。これでは「必要以上に」税金を払う気持ちなど起きてこない。「恥を知り、みずから進んで善を行なうようになる」境地に至るにはまだまだ遠い道のりがあるように思える。
これは税金の話ではあるが、孔子の意図したのはもっと広い政治の話。しかし、それにしたところで同じであるように思える。そこに必要なのは「公共心」。それを養うには強制ではなく、自ら動くように仕向けること。それには2,500年前の世界と同様、「徳」が必要なのだろう。
喜んで税金を払いたくなるような社会が実現する様、政治家の方には「徳をもって導いて」いただきたいと思うのである・・・
【本日の読書】
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