2017年4月5日水曜日

親と入学式

桜の花も満開のこの時期、職場の近くの大学では入学式が行われたようである。駅から降りてきた人々が係員の誘導に従ってぞろぞろと歩いていて、係員の持っている案内板でそれとわかったのである。その長い長い行列を見ていて、ふと気がついた。その大半が親子なのである。ざっと3/4の割合といったところであろうか。

 母と子、あるいは両親と子、稀に父と子。そんな親子連れを見ていて、今は親子で入学式も当たり前なのだろうと思った。我が身を振り返ってみれば、自分は結構自立心旺盛だったから大学は入学式も卒業式も1人で行った。今さら親と一緒に行くものでもあるまいと思っていたのである。もちろん、受験も合格発表も1人で行ったのは言うまでもない。

 そんな考えだったから、受験の時に母親と一緒に来ている奴を見て、「なんて情けない奴だ」と思ったものである。ついてくる方もついてくる方だが、自分の人生をかけた受験にママとくる方もくる方である。その後、会社に病欠を親が伝えるなどという嘆かわしい例も耳にし、女の子ならともかく、男はそんなので大丈夫かと思ったものである。親子の行列もそんな風潮に拍車がかかった象徴なのだろうかと思ってしまった。

 もっとも、私と同年代のある人によれば、大学の卒業式には親が来たという。我が子の最後の卒業式をこの目で見てみたいということだったらしいが、まぁそういう理由ならいいのかもしれないと言われてみて思う。親にしてみれば大学の卒業式は(それで社会へ出るのであれば)、「子育ての卒業式」でもあるわけだし、最後の記念にという思いもあるかもしれない。それはそれで納得できる理由である。

そう言えば、私の父も私の合格発表を私に隠れて見に行ったという(もちろん合格の報告後である)。それは何年も経ってから聞いた話で、私に言えば反対されるから黙って行ったらしい。中卒で社会に出た父からすれば、一生懸命働いて育てた息子が自分の行けなかった(そして行きたかった)大学に合格し、それは感慨深い出来事だったのかもしれない。今から思えば悪いことをしたなと思う。もう少し寛容に構えて、入学式なり卒業式なりに「連れて行って」あげれば良かったと思う。

そう考えると、ぞろぞろと長い行列をなして歩いていた親子連れも、そんな優しい息子・娘の集団だったのかもしれない。「親と一緒」というだけで批判するのは良くないかもしれない。自分の受験時の、あのママと来ていた学ランの受験生のイメージがどうも強すぎるのかもしれない。ただ、社会人にもなって親が病欠連絡をするのもいるから、中には子離れ親離れできなくて、一緒に来ていた親子もきっといただろうと思う。

親と一緒でない子は、友達同士であったり、あるいは一人寂しく歩いていたりしていたが、一人で歩いていたのはたぶん誰も同じ大学に行く知り合いがいなかったのだろう。心なしか俯き加減のそんな彼らをポツリポツリと見かけると、かえってエールを送りたい気持ちになった。親に頼るのは仕方のない学費と生活費だけにして、精神的にはもう独立したい時期である。

我が家の子供たちも、いずれ大学へと進学するであろう。その時はどうするだろうか。東大とか早稲田とか慶応とか、一流大学だったら物見遊山で行くかもしれない。でもそれは娘の場合で、息子の場合は行かないかもしれない。その時になってみなければわからないが、行くとしたら、それは子供の為というより自分の為であろう。まぁその前に、大学に行かない(行けない)と言うことのない様、しっかり勉強してほしいと思うのである・・・







【本日の読書】
 
    

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