毎日通勤で、そして仕事での移動で電車を利用している。通勤で使っているのはPasmoの定期券であり、それ以外ではSuicaだ。昔のように切符を買うという事はほとんどない。それどころか、Suicaはオートチャージ機能付だから、券売機の前に立つこと自体、半年に一回の定期券の更新の時だけである。便利になったとつくづく思う。
それと同時にふと気がついた。そう言えば、「キセル」もしなくなったと。あまり大きな声では言えないが、昔は何気なくキセルをしていたものである。乗る時だけ最短期間の切符を買っておいて、出る時は定期。それでもって、本来払うべき電車賃を最低金額で済ませていたわけである。正直言って罪の意識なく普通にやっていたものである。
それが自動改札とPasmoとSuicaの登場によってできなくなった。ひょっとしたら、そんな今の環境下でもうまくやる方法はあるのかもしれないが、そんな事に頭をひねってわずかなお金をごまかそうなんて気持ちはサラサラない。それどころか、最近では電車賃にいくら取られているのかさえもほとんどわからないくらいである。たぶん他の人もみんな似たような状況だろうと思う。いくら使っているのかわからないとまではいかなくても、みんな自動改札機でしっかり正規料金を払っているのだと思う。
そう考えると、JRもさぞや儲かっているのかと思って調べてみた。平成10年と24年とで比較してみたら、運輸収入は462億円増えていた。まあこれがすべてキセル分だとは思わないが、かなり貢献しているのではないかと思うが、JRもあまり宣伝しにくい部分かもしれない。
駅員の削減という部分を取ってみても、人件費は大きく減らせただろうし、最終的な利益はかなり増えたのではないかと思う。ひょっとしたら「キセル」という言葉自体死語になっているのかもしれないと、会社で若い女性に聞いてみたら、20代半ばのその女性はまだまだ最後の切符世代だったらしく、言葉の意味自体は知っていた。しかしその言葉が、昔の「煙管」から来ている事までは知らなかった。うまいネーミングだと思ったが、あと10年もしたら死語になっているのではないだろうか。
銀行の店舗では、お客様が入って来た時に、「いらっしゃいませ」と声をかける。これは顧客サービスであると同時に、実は防犯対策になっている。入った途端に声をかけられて注目されているという意識が、悪い事をしようという意識を削ぐ結果になるという心理を利用しているのである。自動改札のシステムも、利便性の提供と同時にずるを防ぐ機能も持っている。「犯罪を取り締まるよりも起こさせないシステム」という意味でも、これはいいと思う。
そう言えばその昔、原宿の駅で駅員さんに捕まった事がある。期限の切れた定期券を使って見つかったのである。その時は途中で気がついたのだが、面倒なのでわからないだろうとタカをくくっていたら、微妙な後ろめたさが態度に出たのか、不自然なしぐさが注意を引いたのか、しっかり見つかってしまった。
嫌な体験だったので今でも覚えているが、あの時の駅員さんもきっとそうだっただろうし、そうした“嫌な体験”を防ぐ役にも立っているだろう。世の中どんどん便利で快適になっているが、こうした“死語”が増えていく事は歓迎すべき事態だろう。あとは乗客のマナーだろうが、これはなかなか一朝一夕というわけにはいかないのだろうなと思うのである・・・
【今週の読書】
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