2012年8月23日木曜日

仮面ライダー・フォーゼ

 本日は小学校1年の息子と映画鑑賞。観てきたのは、「 仮面ライダーフォーゼ THE MOVIE みんなで宇宙キターッ!/特命戦隊ゴーバスターズ THE MOVIE 東京エネタワーを守れ!」だ。大人的にはお金を出して観るのは、もったいなくて仕方がないが、息子のためとあれば仕方がない。

 私も子供の頃(たぶん小学校低学年頃まで)は、地元武蔵小山商店街にあった映画館によく東映マンガ祭りを観に行った記憶がある。春休みと夏休みと、それぞれ楽しみにしていたものである。今に至る映画好きの原点でもあり、だとすると息子にもそれを味わわせたい。そう考えれば、手間も料金も大したものではない。

  さてそうは言っても仮面ライダーはやっぱり郷愁をそそられる。私の頃は「仮面ライダー1号&2号」の時代。 一生懸命観ていたし、おこずかいを貯めてライダースナックを買ってもいた。毎回ワクワクしながら観ていたものである。 


 そんな背景もあって、息子が仮面ライダーを観はじめた時は(当時は仮面ライダーWであった)、一緒に観ていたものであるが、最近は観ていない。それに今の仮面ライダー・フォーゼは見るからにカッコ悪く、とても好感が持てない。バンダイでは子供たちの嗜好調査を行った上での自信作らしいが、ダイキン工業のキャラクターである“ぴちょんくん”に似ている事から、もっぱら妻には“ぴちょんくん”と言われてしまっているし、個人的にはとても応援する気にはなれない。しかも変身するのはどうやら高校生。これもなんかおかしな髪型のあんちゃんで、軽いノリがどうも肌に合わない。 

 さてそんなマイナス点は置いておくとしても、肝心の変身後の戦い方もどうかと思う。やたらベルトをガチャガチャと操作し、何やら武器をあれこれ装備し、次から次へと使い分けるのであるが、えらく忙しい。それに銃をぶっ放したかと思うと、剣を取りだしたりミサイルを撃ったりと、何だか己の戦闘能力にアイデンティティというものが感じられない。

 西部のガンマンは拳銃だし、スターウォーズはライトサーベルだし、ジャッキー・チェンならカンフー、そういうアイデンティティがまるでない。昔は、次から次へと襲いかかるショッカーの戦闘員を一人でなぎ倒し、パンチやケリを繰り出し、最後は必殺のライダーキックで締めていた。そうした必勝パターンこそが大事だ。スタン・ハンセンだって、最後は必殺のウェスタン・ラリアットで相手を倒して3カウントを奪っていたが、それこそ観客が最も観たくて、そして最も盛り上がるものだった。今の仮面ライダーにはそういうものはなさそうである。 

 もちろん、それはバンダイが子供たちにグッズを買わせようとしているからであり、それがベースになっているからどうしても武器が多くなる。変身ベルトだって、仮面ライダー1号&2号の頃は真ん中で風車がくるくる回るだけだったが、今はあれを差し込んだりこれを差し込んだり光ったりと何がなにやらわからない。これで良いのか、と正直疑問だ。 

 今日の映画でも友情だ、絆だと叫ばれていた。それでパワーアップしてしまうのも凄いと思うが、それがそんなに大事なのか。仮面ライダー1号も2号も、不本意ながらショッカーに改造人間にされてしまい、その事実を隠し、正義のためにショッカーと戦っていた。みんなで戦うのもいいかもしれないが、孤高の戦いも己を強くする。 

 また、昔は強敵を前にして、特訓をしてさらなるパワーアップを図っていた。友情でパワーアップするのもいいが、子供たちに努力して力をつける姿を見せる事も大事な気がする。これから運動会もあるが、本番で必要なのは「頑張れ~」という言葉よりも、「もう一回やってみよう」という地道な練習の繰り返しだ。 商売ももちろん大事なのだが、こういうヒーローモノにはもっと大事にしてもらいたいものがある。

 劇中には次の仮面ライダー・ウィザードが登場。引き継ぎにもそつがない。それはそれで良いのだが、次はもう少し実のあるモノを期待したいものである。その前に息子もそろそろ仮面ライダーを卒業する時期かもしれないが、どうだろう。卒業したら、もう観る事もないのだろうから、今のうちに楽しんでおいて欲しいと思うところである・・・

【本日の読書】          
2015年までは通貨と株で資産を守れ! - 中原圭介 新月譚 (文春文庫 ぬ 1-7) - 貫井 徳郎






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