妻がPTAの「夜の会合」に出掛ける事になっていたため、妻の夕食の支度という手間を省きつつ、孫に会いたいという親のニーズを満たすナイスなアイディアである。
食後に、「そう言えば」と母がどこからか写真を出してきた。私の子供の頃の写真だ。そろそろ自分の写真も整理しようと思っているから、欲しいのがあったら別に保管しておくというのだ。何でも友人は昔の写真をすべて処分したのだという。自分でもそんな事を考えているらしい。
久しぶりに見る自分の幼少時の写真。
息子はそれを見て、「髪の毛がたくさんある!」とそればかり。
子供の頃から禿げている人はいないし、それにパパは今でも禿げているわけではなく、短くしているだけだと反論。
父に抱かれた私の写真を見て、「これパパ?」と父を指さして聞く。
自他共に認める祖父似の私は、父にはそんなに似ていないと思っていたが、言われてみれば何となく似ている。やはり血のつながりなのだろうと、母と二人で感心する。
私は両親が27歳の時に生まれている。
写真の父は、したがって当時まだ20代だ。
一緒に積み重ねてあった古いアルバムに目が止まる。
母の制止を振り切って手に取ると、それは母の昔のアルバム。
めくると典型的なセピア色の写真が目に飛び込んでくる。
それは初めて目にする母の若い頃のアルバム。
「昭和27年」という記載があると言う事は、母が中学生の頃という事だ。セーラー服に身を包んだ母は、小太り。すぐ下の叔母もセーラー服姿。二人とも薄々は感じていたが、若い頃から不美人だ。叔母などは当時からメガネ姿。思わず吹き出してしまったが、今度会った瞬間また吹き出しそうな気がする。
母が思わず「えっ~!」と声を上げる。アルバムには、初恋の人の写真が友人たちのものと一緒に貼ってあったのだが、そこに記された生年月日が何と父とピタリ一緒だったのだ。今頃になって気がついたという事は、長い間見ていなかったということだろうが、星占い師が聞いたら、それとばかりに膝を打ちそうなエピソードだ。
高校を卒業した母は、東京の叔父の家に世話になり就職する。
職場の前で撮った写真のバックにはオート三輪が写っている。
20歳の時には着物姿でポーズ。
職場では昔の事務員さんが来ていた事務服を着ている。
父と知り合い二人の写真が増える。
父の部屋で撮った写真には、「彼の部屋で」とコメントがある。
今は「お父さん」だが、まだ「彼」だった時代があったのである。
井の頭公園、新宿御苑、深大寺・・・今でもカップルがデートに行く場所を、かつて二人で歩いたようだ。どんな会話を交わしていたのだろう。
やがて二人の写真に私と弟とが加わる。
写真もカラーに変わる。
30年前の両親と弟との写真。
もう高校生になって親と行動を共にしなくなった私は写っていない。
父はちょうど今の私と同じくらいの年。
まだ髪の毛も多く、分け目もはっきりしている。
毎日遅くまで仕事に精を出して、毎日家族に対してどんな想いを抱き、将来についてどんな事を考えていたのだろう。当たり前だが、両親にもそれぞれの人生があったわけで、そんな歴史を感じさせる。写真というのは、考えてみれば大した発明だ。過ぎゆく時間を確実に切り取って後世に伝えてくれる。やがて子供たちも、我々の写真をそうして見る時がくるのだろうか。
私の場合、セピア色の写真に始り、カラーからデジタル画像へと、写真の進化という意味でも面白いだろう。子供たちの場合は、ずっと鮮やかに残るはずのデジタル画像ばかりだ。母は古い写真はみな処分するのだと言うが、是非とも残せと頼んできた。そのまま灰にしてしまうにはあまりにも惜しい。他の誰にとっても価値はないかもしれないが、私と弟にとっては別だろう。いずれそのうちもらい受けてくるとしよう。
PCの中に保存してあるだけの、自分達家族の画像データもそろそろ整理しようかという気になったのである・・・
【本日の読書】
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