2011年1月27日木曜日

世の中うまくいかない事もある

同僚が前日の家族の会話を語ってくれた。
5年生になる娘さんが、小学校で鼓笛隊のある楽器担当から落選してしまったという話である。
何でもその小学校では、運動会で6年生がやる鼓笛隊の演奏が競技の目玉であるらしい。
そしてその鼓笛隊でも、その楽器(何だったか忘れてしまった)が花形なのだという。
女の子が担当するらしいのだが、誰もがやりたがって狙っていたらしい。
そして選考会の結果、残念ながら同僚のお嬢さんは落選だったのだと言う。

お母さんも相当期待していたらしく、母子でがっくり涙ポロポロだったらしい。
事前にかなり練習していたらしく、その分期待と落胆は大きかったようである。
先生からも連絡があって、「決してうまくないというわけではない」と言った趣旨の説明があったと言うが、奥さんには受かった子をして「どうしてあの子が・・・」という気持ちがあるらしい。
受かった子やその親に対するやるかたない思いが胸の内に渦巻いているらしい。

人間だから胸の内に悔しい思いが渦巻くのは仕方ない。
それだけで済ませられればよいが、「なんでうちの子じゃないの」となって先生に食ってかかったりすると、いわゆるモンスターPになってしまうのだろう。
先生から連絡があったという事は、毎年そんなゴタゴタがあって先生も気を使っているのかもしれない。選ぶ方だってかなりのプレッシャーがかかるのだろう。

我が子可愛いのは誰もが同じ。
しかし、人生誰もが主役になれるわけではない。
自分の人生においては常に主役であっても、他人との関わり合いの中では、むしろ「その他大勢」の方が多いだろう。同僚の娘さんには気の毒だが、これもいい経験だと思う。
人生初の挫折体験かもしれない。

もしも我が子だったならと考えてみる。
代わりに演奏する事が決まった楽器(その子はピアニカらしい)の演奏を、親として楽しみにしているから頑張るようにと伝えるだろう。一つ一つの楽器の演奏が、全体としてのハーモニーをなす。したがってどの楽器もきちんとその役割を果たさないといけない。そしてやるからには誰よりも上手にピアニカが演奏できるようになりなさいと、私だったら諭すだろう。

さらに週末には練習に付き合ったりして、子供がすねたりひねくれたりしないように見てあげないといけないだろう。まだまだ子供だから、そこは十分なフォローが必要だ。
考えようによっては、親にとっても子供にとってもいい機会に恵まれたと思う。

私自身も考えてみれば随分と唇を噛んだ経験がある。
娘と同じ小学校4年の事だが、どういう経緯だったのか忘れてしまったが、学芸会の劇で主役に抜擢された事がある。と言っても裏の主役だ。
親たちが見に来る本番が表、生徒向けが裏。
わざわざ丸坊主にしての演技だったが、「裏」という意識は拭えなかった。

捲土重来で臨んだ6年生の学芸会。
劇のオーディションに応募したが、あっさりと落とされた。
たぶん、声が通らなかったからだと思う。
自分でも「通りの良い声」ではないなとその時気がついた。
望んでいても、それでも思い通りにならない事として印象に残っている。

それにしても、今だったらお金を積まれたって(10万円未満ならだが)、絶対人前で演技なんてしたいと思わないだろう。子供の頃とは言え、どうしてそんな気持ちになったのかはわからない。だがあの時、自分には演技の道は向いていないとわかった事だけは確かである。あれがなければ、ひょっとしたらいまだに明日を信じて売れない役者をやっていたかもしれない。無限に広がる可能性の中から、向いていない道が一つわかったのは良い事だ。

我が子だって、いつかそんな経験をするだろう。
その時は誰かを恨んだり、すねたりひがんだりするのではなく、その事実を前向きに捉えられるように教えてあげたいと思う。いまだに七転八倒の人生だが、転んだ数よりも1回だけ多く立ち上がろうとする気持ちは随分鍛えられている。そうした成果を子供にはきちんと伝えたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「トレードオフ」ジム・コリンズ
「燃ゆるとき」高杉良
    

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