それは、変化しなさいという心の声です
葉 祥明「風にきいてごらん」
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本を読むのに疲れてふと遠くを見る時のように、日常生活の諸々から逃げ出したくなって空想の世界に思いを馳せる事がある。宇宙の果てはどんなだろうかとか、はるか昔は地球上はどんなだっただろうか、とかである。想像力が及ばないあまりにも遠い世界である。
最近長男が恐竜にハマっている。その手の図鑑などを読んでやっていると、自然とカンブリア紀だとかジュラ紀だとか白亜紀などといった文字が飛び込んでくる。そんな人類も存在しなかった太古の時代の様子を思い浮かべると、いつのまにか読むのも上の空になっていたりする。
地球の歴史が46億年。
その46億年を1年間で表したものを見た事がある。
1年365日で一日あたり12,602,740年。
1時間だと525,114年。
1分間だと8,752年。
1秒間では146年だ。
元旦の午前0時に地球が誕生したとする。生命が爆発的に増えたカンブリア紀(5億4,400万年-5億年前)はなんと11月18日頃だ。そしてホモ・サピエンス(人類)が誕生した約20万年前は12月31日23時40分頃になる。さらにラスコーの洞窟壁画が描かれた1万8千年前は23時58分。キリスト誕生は23時59分45秒くらいだ。人類の歴史なんて地球の歴史からみると30秒程度なわけである。人一人の人生など瞬きする間もないくらいだ。
そんな雄大な時の流れの中に我々は生きているのである。日常の悩みなんて小さなものなのだと感じさせられる。わずか一瞬のまばたきの中で、どうしてこんなにも足掻くのであろうか。それこそが生きている証だとしたら、生きるとは大変な事だと改めて思う。
一つだけ間違いなく言える事は、100年後の世界がどうなっているのか私は知る事ができない。その世界では私の事を知っている者がいるかどうかもわからない。今撮っているビデオやCDがその時まで保管されていたら、私の子孫か誰かがそれを見て何か思うかもしれない。ちょうど私が時折祖父の写真を引っ張り出しては見ているように・・・
このブログはどうなんだろう、その時まで残っているのだろうか?人には語れない事を書き込んでいる日記は誰かの目に留まるのだろうか?
あれこれと想像したあとはまた日常生活に戻る。平凡な毎日であるが、心穏やかに過ごせるようにもうちょっと頑張って過ごしてみたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「東京裁判を読む」半藤一利/保阪正康/井上亮
「熱い風」小池真理子
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