2009年9月21日月曜日

敬老の日

 本日は敬老の日。毎年恒例である義理の祖母との食事会があった。私の祖父母はすでにみな他界しており、義理の祖母二人が残っている。子供たちからすると曾婆さんとなるわけである。私には経験がないが、曾婆さんという存在が子供たちにどう映っているのかは興味深いところである。御年87才、多少の衰えはあるがまだまだ元気である。

 私自身にとっては一番最後に89歳でなくなった祖父が一番印象深い。二十歳を過ぎて、「祖父」という存在の貴重さに気付いていたし、昔話に興味を持ってもいた。
独身の気楽さから、晩年にはよく長野県は八ヶ岳の麓に住む祖父を一人で訪ねて行ったものである。そこで祖父と二人酒を飲みながらいろいろな話を聞いたのは良い思い出である。

 祖父はあの時代の多くの人がそうであるように、徴兵検査を受けて陸軍に入隊した。そして大正15年と昭和17年に召集されて、それぞれ朝鮮半島と中国に出征している。軍隊生活をこよなく愛し、私にも「軍隊は良かった」と語ってくれた。おそらく召集されても直接最前線で戦火を交える事もなく、2度目の応召の時は途中で病に倒れ傷病兵として除隊したがゆえに、過酷な経験をせずに済んだのもその理由なのだろう。

 世に悪名高い日本陸軍ではあるが、良い部分だけを経験できたのが大きかったのではないだろうか。戦後の自虐教育からくる一般の認識からすると、「軍隊は良かった」などという発言は、どこかの党首などに聞かれたらとんでもない人間と見なされてしまうだろう。だが、どんな組織であれ、長所短所はあるわけで、特に日本陸軍のように諸悪の根源としか思われていない組織の良さを語ってくれたのは私にとって祖父ただ一人であった。

 そんな祖父が、ご飯を食べる時にいつも使っていたのは銀色の不恰好な箸であった。だがそれは実は軍隊で支給され使っていた箸で、本当は除隊の時に返さないといけないのだが、軍隊に愛着のあった祖父はこっそりと持ち帰り、以来ずっと使い続けてきたそうである。それに軍隊手帳。達筆な筆で書き込まれた小さな軍隊手帳には、折々の天皇陛下の勅語があり、上記2回以外にも短期訓練等に参加した記録が記載されている。軍人としての心得などが書かれ、人々の範となるべき軍人の有り様が説かれる。子供たちが憧れた「兵隊さん」の姿がそこからは伺える。

 何度もせがんで話を聞かせてもらったせいか、祖父は死ぬ前にその二つをそっと私に譲ってくれた。教科書からも誰からも学ぶ事のできない生きた歴史の証である。また、義理の祖父はインパール作戦の生き残りであったそうだ。妻と結婚した時には既に故人となっており、会う事もなく苦労話を聞くこともできなかったのはとても残念だ。

 我が家の子供たちはまだまだ無邪気だ。生きた歴史の証人を前にしてもそのありがたみを感じられる年齢にはない。だがもう少し大きくなったら、曾婆さんは無理としてもせめて4人の祖父母からいろいろな話を聞いてもらいたいと思う。それまで両親には元気でいてもらいたいし、そういう交流の機会を親として作っていきたいとも思う。

 曾婆さんは昼間のデイケアでも美味しいものをもらえたと喜んでいた。食いしん坊の我が妻の元祖なだけに食い気だけは衰えていない。年に数回は敬老の日にしてほしいとのたまう姿は微笑ましいものだ。まだまだ元気でいてほしいと願いつつ帰路に着いたのである・・・



      

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