2009年7月16日木曜日

やぶ入り

幸せな子を育てるのではなく、
どんな境遇に置かれても幸せになれる子を育てたい   
                   皇后陛下美智子
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本日7月16日は「地獄の釜の蓋も開く」といわれた日、「やぶ入り」である。
今は、「やぶ入り」といってもピンとこないが、お正月とお盆の16日ごろを指し、いわば昔の夏休みと冬休みといったものだったようである。

その昔、新嫁さんや奉公人は日頃の苦労の慰安のため一泊の休みを貰えた。
なので、この日が来るのを待ち焦がれていたという。
親元では里帰りした子をあたたかく迎え、子は食べて寝て、縦の物を横にもせず一泊し、また、帰りに親は沢山の土産物を持たせて帰らせたそうだ。
わが娘が婚家に帰って恥をかかないようにとの配慮からだったという。

奉公人は、丁稚、手代、番頭とたたき上げて何十年も働き、運が良ければのれん分けしてもらい、店が持てた。しかし、早ければ10歳に満たない幼子が奉公に出て、貧しさ故につらくとも帰ることも出来ず、日々の労働に耐えたという。貧しい家では子供はよけいな口であり、早く働きに出して養う口を減らす必要があったのである。

それは戦後の高度成長期に、「金の卵」ともてはやされた中卒者が集団就職で上京する形へと姿を変えた。私の父も16歳で働くために東京に出てきたという。最初に努めた町工場では、朝6時に起きて夜12時まで働いたそうである。今そんな事をさせたらとんでもない事になる。

今は大学に行けば、卒業する20代前半までろくに働かなくても、のほほんと暮らしていける。
働くといってもせいぜいがアルバイトで、嫌なら辞められるし、働くといっても丁稚や金の卵たちに比べれば遊んでいるようなものに違いない。自分自身振り返ってみても実に温かく庇護されていたと思う。社会人になればそれなりに大変であった事も確かだが、それでも半年にたった一泊のやぶ入りを楽しみにしていた昔の人達から比べれば天国だろう。

それが悪いとは思わない。むしろそうした社会の発展は喜ばしい事である。だがそれが当たり前になってしまうと、ありがたみというものは感じられなくなる。そしてそれこそが問題だ。そればかりか、さらには現状に不満を訴え、もっともっと楽しようとするのだ。知恵を働かせて、脳ミソに汗をかいて楽をする方法を考えるのなら悪くもないが、何もせずに楽する事ばかり考えるのは許されざる事だ。先代の苦労は子孫を遊んでだらけさせるためのものではなかったはずである。

自分自身もそうであるが、自分の子供を10歳から丁稚奉公に出さなくてもいい事はこの上なく幸せな事である。息子が高校生になった時に18時間も働かせなくてすむ事も同様である。そんな事を考えると、もうちょっと親孝行しないとバチがあたるだろうと思う。

「やぶ入り」という言葉もだんだんと死語になりつつある。
だがそれが意味する事は子供たちにもしっかりと伝えたいと思う。
「当然の事」が「当然でなかった」時代があったこと。
「当然の事」が「当然である」悦び。
しっかりと身に沁み込ませたいと思うのである・・・
    
    

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