【原文】
達巷黨人曰、大哉孔子。博學而無所成名。子聞之、謂門弟子曰、吾何執。執御乎、執射乎。吾執御矣。
【読み下し】
達巷党(たっこうとう)の人(ひと)曰(いわ)く、大(だい)なるかな孔(こう)子(し)。博(ひろ)く学(まな)びて名(な)を成(な)す所(ところ)無(な)し。子(し)、之(これ)を聞(き)き、門弟(もんてい)子(し)に謂(い)いて曰(いわ)く、吾(われ)何(なに)をか執(と)らん。御(ぎょ)を執(と)らんか、射(しゃ)を執(と)らんか。吾(われ)は御(ぎょ)を執(と)らん。
【訳】
達巷という村のある人がいった。「孔先生はすばらしい先生だ。博学で何ごとにも通じておいでなので、これという特長が目立たず、そのために、かえって有名におなりになることがない」先師はこれを聞かれ、門人たちにたわむれていわれた。「さあ、何で有名になってやろう。御にするかな、射にするかな。やっぱり一番たやすい御ぐらいにしておこう」
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世の中には天才とも言うべき人がいて、なかなか凡人にはどうやったら真似のできるものなのか想像もつかない事が平気でできたりするものである。孔子は博学で何ごとにも通じていたとのことで、多分何を聞いても見事な回答を返していたのだろう。学校の成績で言えば「オール5」といったところなのだろう。私はと言えば、学校の成績で例えれば「オール3」といったところであった。「何をやらせてもそこそこできるが、秀でて人より何かできるわけでもない」と言う感じである。実際の小中学校時代の成績もそんな感じであった。
何でもそこそこできるというのもそれなりにいいように思うが、それはそれで悩みのようなものは常にあった。勉強だけではなく、スポーツでも割と器用に何でもこなした方である。学校の体育の時間はいろいろなスポーツをやる。バスケットボール、バレーボール、水泳、サッカー、鉄棒、走り幅跳び、走り高跳び等々であるが、私はそれなりに器用にこなした。球技大会ともなればチームの中心選手であったし、例えば水泳大会では水泳部の部員は出場できないのでいい成績を収めた。しかし、水泳部の部員と比べればそれは大した成績ではなかったといった。
高校の時はスポーツ大会があって、クラスの有志とともにハンドボールの部に出場した。何となくキーパーをやり、相手チームにいた経験者のゴールを何度も阻止して驚かれた。ただ、それは所詮、未経験者の集まりの中での話だし、専門にやっている者の中では目立たなかっただろう。ラグビーは専門にやっていたが、やはり割と器用でどこのポジションでもそこそここなせたが、専門のポジションであっても飛び抜けていい選手だったとは思えない。上には上がいるのは当たり前だが、それがゴロゴロいるとさすがに自惚れ心も起こらなくなる。
20歳くらいまでは、自分は何か特別な存在であるような気でいたが、社会人になって銀行に入ってその自信は打ち砕かれてしまった。組織の中でうまくやっていくには、仕事の能力だけではなくコミュニケーション力も必要である。それを軽視していたということもあるが、自分がごく普通の人間であるという事を嫌というほど味わされたものである。それでも大企業を離れ、中小企業に入ればそこそこ力はあるのだと、ここ10年は実感していて、ようやく少し自信回復してきた感はある。しかし、もちろん「評価5」などと自惚れるほど愚かではない。
世の中にはオール5が平気で取れる人がいる。「何で有名になろうか」と戯れに言える人はいいが、たいていの人はたった一つでも有名になれるのは難しい。ただ、それを嘆く必要はないと思う。そもそもたとえあるところで5を取れたとしても。別のところへ行けばそのレベルでは4にしかならないということもある。また、その逆に、あるところでは3であったとしても、別のところでは5になれるかもしれない。孔子のようにトップ中のトップはほとんど稀で、大半の人は上には上がいるのである。であればその前提で考えるしかない。
私は銀行では大して出世はできなかった。自分では実力はあると思っていたが、同じような実力の人間がたくさんいる組織では、コミュニケーション能力も必要であり、幅広く能力が必要なのだろう。しかし、銀行を飛び出して中小企業へ移ってみれば、思っていた通り実力を発揮して活躍できている(コミュニケーション力も改善している)。己の実力が認められなくて嘆くのであるならば、ステージを変えるのも一つの方法である。セカンドステージの方でうまく活躍できるかもしれない。
孔子のようにあれこれ選べるほど力のない一般人は、ステージを変えて有名になれるところを探すのもいいかもしれない。10,000人の中では凡人でも10人の中では有名人になれるかもしれない。己の不運を嘆く前に一般人には一般人なりの人生戦略があり、自分をうまく活かせるばに活躍の場を場を移すのもひとつの手であるだろう。「オール3」であっても、ある分野に関して狭いステージに移れば「5」を取れる。凡人の戦略としてはそれでいいのだと思うのである・・・
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schach100によるPixabayからの画像 |
【今週の読書】



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