2023年10月22日日曜日

遺伝の影響はどこまであるのか

 先日、『生まれが9割の世界をどう生きるか 遺伝と環境による不平等な現実を生き抜く処方箋』という本を読んだ。人間の遺伝にまつわる話である。内容的には特に興味を引くというものではなかった。もともと「遺伝」ということにあまり関心はなく、自分には大して影響も無い話だと感じていた事もあるし、内容的には当たり前のように感じる部分が多かった事もある。自分にはどうする事もできない遺伝の影響と言えば、顔形とか、特定の病気になりやすいとか、その程度だろうとなんとなく日頃感じているからである。

 決定的に否定できないのは「顔」だろうか。私の顔は父とも母ともあまり似ていない。それゆえに「橋の下で拾われてきた」と言われても、確信を持って否定できない。ところが、父の若かりし頃の写真を見ると、なんとなく自分に似ていると思う。初めて父の若い頃の写真を見た時、「間違いなく父の子である」という実感を持てて嬉しかったのを覚えている。さらに祖父の20代の頃の写真を見た時は尚更であった。私はむしろ父よりも祖父に似ているとさえ感じたのである。

 一方、同じ血を分けた兄弟である弟の方は、あまり父とは似ていない。昔の写真を見てもそうである。私自身、弟と似ていると思ったことはなく、父と祖父との繋がりの確信を得られた後となっては、むしろ弟の方が「橋の下」であると言えるかもしれないと思うほどである。だが、弟が生まれたという知らせを受け、父に連れられて生まれたばかりの弟を見に行った記憶がある(第一印象は「猿みたいだ」である)ので、もちろん、「橋の下」ではない。似ていないのは、遺伝子は両親から受け継ぐので、母親の遺伝子もかなり入っているからなのだろう(と言っても弟は母にもそれほど似ていない)。

 娘が生まれ、しばらくすると、なんとなく自分に似ていると思うようになった。小学生の頃は特にそうだったし、ママ友などにもよく指摘されていたから、自他ともに認めるところであった。娘は父親に似るとはよく言われるが、それは我が家の場合真実である。それに対して、妻は複雑な思いを抱いていたようだが、私としては確実に自分の遺伝子が生きていると実感できて喜ばしかったものである。今、成長して大人の女性になったが、今は残念ながらそれほど似ていないように思う。

 遺伝の影響はどの程度かはわからないが、夫婦2人の遺伝子が組み合わさっているのだから、子供に伝わる私の遺伝子は理論上50%である。という事は、何から何までまったく同じという事はあり得ず、従って「似ている」と言ってもパーツ的なものにとどまるのだろう。それに同じ人間でも年齢を経れば変わるので、親子であっても兄弟であっても、そっくりになるのは稀なのだろう。先の本でも、「遺伝と環境の影響は半々」と説かれていた。私も弟とはまったく性格が違う。同じ両親の元に生まれ、育っているにも関わらず、である。

 もっとも、「環境」も同じようでいて違うという。私は長男だが、弟は次男。「生まれた時に兄がいる」という環境は、私と弟とでは異なるわけで、兄弟だから同じ環境というわけではない。母はよく、「同じように育てているのに」とぼやいていたが、同じではなかったのである。さらに人は環境の影響を受ける。私は小学生の頃は漫画や小説にかなり人格面で影響を受けている。弟とは漫画の好みはまったく異なっていたので、この点でも同じではない。遺伝子もそこまで影響はしない。

 娘に続き、息子が生まれた時、私は同じ男として息子には「私が良かれと思う考え方」を伝授しようと思ったが、それはなかなか至難の業であることがわかった。何より息子と接する時間は妻の方が圧倒的に多い。「すべての息子をダメにするのは母親」という信念が私にはあるが、大いに危惧する状況が多々あった(が、何も口出しできなかった・・・)。遺伝子の影響も50%だし、思う通りには育てられないというのは、早々に悟った。育っている環境も、もちろん私とは大きく異なる。私にできることは、折に触れ、「父の考え」を語ることだけであると思う。

 遺伝の影響でもう一つ感じているのは、「基礎体力」だろうか。私はこれまでの人生でインフルエンザに罹った事は(記憶は、の方が正しいかもしれない)ない。高校生の時に熱で遅刻、早退はあるが、「病欠」はない。それは大学、社会人を通じて今に至るまで続いている。娘は肺炎で入院したが、息子はそういう経験は今のところない。病欠はほとんどない。父もそうであったし、89歳まで生きた祖父がどうだったかはわからないが、なんとなく、この丈夫な遺伝子はありがたいと思う。風邪は気合いで治せるし・・・

 遺伝という自分にはコントロールできないものに、いろいろと原因を求めるのは私の性には合わない。したがって、遺伝に原因を求めるのは、せいぜい顔形や病気になり難さくらいである。あとは自分の努力次第。できないのは力が足りないのであって遺伝のせいではない。ちなみに、先の本では、身体的な特徴は80%の確率で遺伝するというが、それもほどほどに考えている。確かに、息子は同じ年頃の時の私とほぼ同じ体型だが、そもそも明治の時代の日本人は皆背が低かったわけだし、環境の影響も多分にある。これも遺伝に原因を求める気持ちはない。

 本でも主張されていたが、「良いところは遺伝、悪いところは努力不足」と考える方が、生きる上では大切だと思う。遺伝とはそういうものと、これからも考えていきたいと思うのである・・・


thank you for 💙によるPixabayからの画像

【本日の読書】

 



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