何事も1人で意思決定をしようとすれば簡単であるが、他人を巻き込むとなると困難を伴う。それは自らの考えに賛同してもらう必要があるからだが、人はみな考え方が違う。それゆえに同じ方向を向いていなかったり、あるいはものの考え方が違っていたりするとすんなり意思決定ができなかったりする。説明する方にも「理解してもらう努力」が必要であるが、説明される方の「理解力」も必要である。会社においては、純粋な意見対立よりも、「理解してもらう」ことがまず難しかったりすることがしばしばある。
先日、会社の会議でとある方針について説明をした。それは年度の後半に向けて売上計画を達成するための施作である。そしてそのためにまず現場の情報を営業に集中させる事が必要であり、そのための手段として各現場から毎週報告をあげてもらうことになった。そこまではいいが、ある者から報告書の書式についての質問があった。曰く、「○○の場合はどうするんだ」とか、これだと「勘違いする者がいるんじゃないか」とか、「報告は週初より週末の方がいいのではないか?」とかそういった質問であった。
私も長年のサラリーマン生活で、こうした枝葉末節の議論に出くわすことがしばしばあったからもう慣れっ子になってしまったが、そのたびに心の中で大きなため息をつかざるを得ない。ご本人は至って真面目に考えているから、心の中のため息はグッと堪えて丁寧に説明することにしている。ただ、こうした「視点のズレ」は、「説明の仕方」というよりも、「本質を掴み取る力」に由来していると言える。本質を掴んでいないから的外れな質問をしてしまうのである。
例えば野球で相手ピッチャーの攻略方法を考えた時、例えば「ストレートは捨ててカーブを狙って打て」という方針を立てたとする。その時、「バッターボックスの前に立ったらいいのか後ろに立ったらいいのか?」(そんなのは好きにしろ!)、「2ストライクに追い込まれたらどうするのか?」(ストレートを投げられたら打つしかないだろう!)などと聞くのと同じである。「一挙手一投足までいちいち決めてもらわなければ動けないのか?」と言いたくなるだろう。
先の会議の質問についても、大事なのは(つまり本質は)売上計画の達成であり、そのために営業に情報を集中することである。報告書など単なる形式であり、本質は「情報が営業に伝わること」である。それ以外は、書式なども含めて本質から比べれば「些細なこと」である。臨機応変にそれぞれが考えればいいことである。有力な情報を掴んだら、わざわざ報告書を書いて、期日に退出するのではなく、「その場で電話」すればいいわけである。それが「本質を掴み取る力」である。
一般社員ならともかく、少なくとも管理職であればそうした「本質を掴み取る力」は身につけておいて欲しいと思う。確かに報告書の書式や期日を決めたりすることも大事だろうし、想定される事態について備えるのも大事であるが、そうした諸々をすべて決めないと動けないとなると、何をやるにしても時間がかかることになるし、何よりも社員一人一人の考える力を奪うことになる。「思考停止」社員を生み出す元凶になりかねない。本質を押さえたら、あとは臨機応変に対応できるのも大事である。
さらに言えば、こういう枝葉末節にこだわるようになると、やがて報告すること(報告書を作成して提出すること)が目的になってきかねない。いわゆる「手段の目的化」である。営業に情報を集約するという目的に対し、報告書を提出するという手段が、いつしか報告書を上げることが目的になっていくことになりかねない(それでも必要な情報が報告されればいいのであるが・・・)。報告書を提出させる意図は、「そのために情報を積極的に集めろ」というものであるが、にもかかわらず、「何もありません」と平気でいられても意味はないわけである。
どうしたらそうした「本質を掴み取る力」が各人に備わるのだろうか。自分のことではないのでなかなか難しいが、その都度説明するしか今のところは思い浮かばない。ただ本質を外しやすい人は、手段に目が行きやすいのは確かである。「報告書を提出せよ」と言われれば、その背景ではなく「報告書」自体に目が行ってしまう。だから書式や期限や想定される部下からの質問などが思い浮かんでしまうのだろう。さらには手続きを間違えないようにしようといった気持ちが強く出てしまうのだろう。
根気強く説明していくしか方法はないのだろうとは思う。その際、自分がどうやって「本質を掴み取る力」を身につけたのかが参考になると思うが、それを考えてもわからない。自然と身につくものではないだろうし、どこかで身についていったのだとは思うが、その方法はわからない。一つには読書があるかもしれないとは思う。長年にわたって意識的に読書だけは継続してきた。その積み重ねが意識しないところで役立っているのかもしれない。いずれにせよ、「本質を掴み取る力」について、今度は自分の周りにいる人にも身につけてもらえるように考えていかないといけないと思うのである・・・
Rudy and Peter SkitteriansによるPixabayからの画像 |
【今週の読書】
0 件のコメント:
コメントを投稿