先日、仕事で秋葉原に行った。数年前、父にパソコンを買うので付き合って欲しいと言われてヨドバシカメラの秋葉原店に行ったが、駅前は随分と変わっていた。今回、改めてかつての秋葉原との違いを実感した次第である。東京に住んでいながら、秋葉原にはあまり行かない。そんな私には秋葉原と言えば、かつての電気街のイメージが今も色濃く残っている。そう言えば、一番古い記憶を辿っていくと、いつの頃だったかたぶん50年くらい前になると思うが、父に連れられて行ったのをぼんやりと覚えている。
父もかつては電気製品を買うとなれば秋葉原であった。私の最初の記憶もおそらく父の何かの買い物について行ったのだと思う。記憶に残っている当時の秋葉原は、電気製品の店が軒を並べており、雑然としていたように思う。その次の記憶は中学生の頃。45年くらい前のことであるが、クラスメイトに誘われて一緒行ったのである。そのクラスメイトは、私が人生の中で初めて会った「天才」で、およそ将棋で友達に負けたことのなかった私が、初対戦で7連敗して驚かされた男である。
そんな彼に誘われて行ったある電気店の店頭で、彼は何やら店頭のパソコンに向かってキーボードを叩き始めた。何をやっているのだろうと見ていたが、やがて出来上がったのはゲーム。インベーダーゲームみたいなものであったが、突然ゲームができてしまってやはり度肝を抜かれた。今思えば、簡単なゲームのプログラムだったと思うが、その当時そんなものに興味を持っている中学生など少なかったと思う。アルファベットを打ち込むだけでゲームが作れてしまうなんてと、当時はかなりのショックであった。
そして時は流れ、これからはパソコンが使えないといけないだろうと何となく思い、初めてのパソコンを買いに行った。35年くらい前である。当時はパソコンを買うと言えば、秋葉原くらいしか思い浮かばなかった。家電量販店も「電気のことなら石丸電気🎵」というCMが懐かしいが、秋葉原に集中していた。そして東芝のDynabookを購入したのである。まだMS-DOSの時代である。買った店は今はなきサトームセンだったが、買い替えて不要になり、売りに行ったところは新興のソフマップであった。
2台目のパソコンまでは秋葉原であった。その時はまだパソコン買うなら秋葉原という時代であった。駅前でオウム真理教の白装束の信者がパンフレットを配っているのをもらった記憶がある。2台目のアプティバという品名のパソコンで、OSはWindows3.1であった。まだWindows95が登場する前で、30年くらい前である。それからヤマダ電機やカメラ系の家電量販店が勢力を拡張し、「家電なら秋葉原」の地位は低下。私もほとんど足を向けなくなってしまった。何となくメイド喫茶などのオタク文化が栄えているのを遠巻きに耳にしたくらいである。
今使っているMacは我が家御用達のビックカメラ池袋店で購入したものである。今や我が家の家電のほとんどはビックカメラ池袋店である。池袋にはヤマダ電機の旗艦店があるが、我が家はビック派である。品揃えもお値段も申し分ないので、当分変わらないだろう。もう家電を買いに秋葉原に行くと言う発想は完全にない。しかしながら、ヨドバシ派の父は今でも秋葉原に行くようである。それはかつて身に染みついた「電気のことなら秋葉原」と言うDNAによるものなのかもしれない。
そんな思い出に浸りながら、せっかくだからと帰りに周囲を散策した。すると、古い建物や大通りを一本入ったところに昔ながらの電気店がまだまだ軒を連ねているのを見つけた。かつてあった雑然とした街の雰囲気をそこだけは色濃く残していた。メイド喫茶の呼び込みと思われるお姉さんたちがニッコリ微笑みかけてくるのを横目で見ながら、昔ながらの電気店を眺めた。店だけを見ると、どうやって食べているのか疑問が湧いてくる。しかし、何かこれまでやってこれた何かがきっとあるのだろう。
昔から電気製品に関してはこれと言った興味もなく、だから秋葉原にもそういう目的で行くこともほとんどない。ただ時代とともに変わりゆくのは仕方ないが、昔ながらの秋葉原も残っていた欲しいなと思うのである・・・
zauber2011によるPixabayからの画像 |
【本日の読書】
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