2022年8月11日木曜日

若い頃の苦労はするべきか

 我が社にいる2人の社員。1人はもうベテランだが、しっかりとした技術力があって、本人もそれを自負している。もう1人は若手社員。ワークライフバランスを謳い、今時の若者という感じである。2人は同じチームにいるが、互いの感情はあまり良くない。ベテラン社員からすると、「学ぶ気がない」。若手からすると、「煙たい」。それは2人の人生観からくるもので、残念ながら正反対の人生観ゆえに交わる要素がない。まぁ、人生観などというものは、一つではないから仕方がないと言えば仕方がない。

 ベテラン社員は自分のしっかりした技術を若い頃に苦労して身につけたと言う。特にある先輩の影響が大きかったと語る。厳しい指導をしてくれたと言うが、その時は殺したいくらいに思っていたそうである。それでも耐えてついて行った結果、少しずつ誉めてもらえるようになり、やがては今の礎となる技術が身についたそうである。今にして振り返ってみると、その先輩の厳しい指導は良かったと思っているそうである。似たような話はどこにでもあると思う。

 一方の若手社員は、「仕事は仕事、プライベートはプライベート」と屈託がない。「人生仕事ばかりではない」と言い、自己研鑽すら仕事が終わった後にやるのには抵抗があると言う。そう言えば自分も社会人になったばかりの頃は、そんな考えを持っていたように思う。都心の支店に配属された同期が5時に仕事を終えているというのに、郊外店に配属された私は8時まで付き合い残業をさせられた。残業と言っても、仕事というより雑用である。そこには「上の人が働いているのに若手が先に帰るのは失礼」という感覚があった。若手社員の話を聞きながらそんなことを思い出していた。

 銀行員とシステムエンジニアとでは仕事は大きく異なるが、それでも若い頃にある程度しっかり仕事を覚えないといけないというのは共通していると思う。時代背景の違いはあっても、そういう基本は大きくは変わっていないだろう。ベテラン社員は、「今技術を身につけないでいて、30過ぎたらどうするんだろうね」と語る。確かにその通り。今のまま目の前の仕事をこなすだけで満足していると、いつまで経っても上のステップにはいけないように思う。

 私も理不尽なつき合い残業に憤慨していたが、自己研鑽については肯定的に捉えていた。英語から捕捉的な財務会計知識の習得やマーケティングやら何やら、銀行内の試験もあったが、通信教育や本を読んだりと誰に言われるとでもなくやっていた。早くつまらぬ郊外店から抜け出したいという思うもあったかもしれないが、誰に強制されたものでもない。それらの中には英語のようにあまり効果のなかったものもあるが、読書の習慣だけは今に至って考え方の熟成という意味では大いに役立っている。

 確かにワークライフバランスは大事だと思う。ただ、「若い時の苦労」もそれに負けず劣らず大事であると思う。ワタミの渡邊会長も若い頃の苦労は身になると公言し、それを推奨していたようであるが、過重労働で「ブラック企業」のレッテルを貼られてしまった。詳しい実態はわからないが、そういう先人の考えがうまく伝わらなかった結果だろうが、兎角そのバランスは難しい。特に人は自分の考えを容易には変えないもの。かの若手に「若い頃の苦労」を説いてもあまり伝わらない気もする。

 かのベテラン社員も殺したいほど先輩を憎んでいた期間に仕事を辞めていた可能性もある。私も然り。かの若手に「若い頃の苦労」を強制したら、もしかしたら辞めてしまうかもしれない。若い人が仕事を嫌になって辞めてしまうような事態は当然避けたいと思うから、強制するのも難しい。例えそれが本人のためだと思っていても。結局はすべて本人に帰趨するところであり、周りがとやかく言えないものかもしれない。ただ、本人が正しいと思っていても、周りの経験談に触れれば変わるかもしれない。本人が望まなくとも、適切な指導も必要だろう。

 一方、「教え方」の問題があるのも確かである。殺したいほど憎まれるような教え方が正しいとは思えない。私が新入行員時代に反発したのも、この部分が大きい。なんでも「仕事だ」と言えば従って当然という空気があった。もしも私があの頃の自分を指導するとしたら、考えを聞きながら穏やかな関係を作りつつ、言い聞かせると思う。ただ、それが本当に正しいのかどうかはわからない。そんな苦労をしなくても、それなりに何とかやっていけるのかもしれない。そしたらそれが本人にとっては正解ということになる。

 「水辺に馬を連れて行っても水を飲ませることはできない」とはよく言われる。最終的に飲むか飲まないかは本人次第であり、周りの人間、特に指導的な立場にある人間は、「水辺に連れて行くこと」が重要だとも言える。さらに言えば、「水を飲みたくなるようにさせる」ことができれば、名コーチとなるのかもしれない。色々と難しいが、やはり「水辺に連れて行く努力」と「水を飲みたくさせる努力」はして、「苦労が自分のため」だと思ってもらえるようにするべきなのだろうなと思うのである・・・


Holger DetjeによるPixabayからの画像 

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