2020年10月14日水曜日

日本学術会議の任命問題について

 菅首相が日本学術会議が推薦した候補者105人のうち、6人を任命しなかったことが問題となっている。野党などはモリカケ問題の次の問題になると考えたのか、いろいろと騒ぎだしている。ニュースでさらりと読み流したところだと、「日本学術会議の推薦に基づいて内閣総理大臣が任命する」という形であるようであり、年間10億円の予算も税金から出ているということを考慮すると、「何が問題なのか?」と思ってしまう。推薦通りに任命しなければならないとしたら、その方が問題であるように思う。

 なんとなく似たようなケースで思い出すのが、2012年に田中真紀子文科相(当時)が大学設置申請を不許可とした問題である。これも認可権は大臣にある以上、認可するかしないかは大臣の裁量下にあるはずだが、マスコミがこれを不当として批判していた。認可権がある以上、認可してもかしなくてもいいわけで、マスコミの批判はお門違いであった。今回もまったく同様なのではないかと思う。

 また、もう一つ似たケースとしては、天皇陛下が内閣の指名に基づいて内閣総理大臣を任命することが憲法で定められている(日本国憲法第6条)ケースがあるが、これは主権者たる国民(の代表である内閣)の指名に基づくものであるから天皇陛下が任命を拒否できるものではない。一方、日本学術会議の方は、「推薦」に基づくものだからあくまでも任命するか否かは総理大臣の裁量となるだろう。なんらおかしなことではない。

 ただ、過去の経緯で、政府は国会において「推薦された者については拒否しない」というような答弁を行っているらしい。こうなると、理屈通りとはならない。過去の答弁を覆すなら覆すで、それなりの説明責任は果たさないといけない。任命を拒否した6名についても、なぜ拒否したのかを説明しないといけないだろう。そのあたりは手続き面というよりも説明責任という問題になると思う。

 一方、野党の批判内容を見てみると、「政府の方針に反対の意向を持つ人物を排除するのは許されない」としている。これも考えてみれば難しい。一見、野党の主張は正しいように思えるが、反対の内容にもよるだろう。最近では国益に反することでも平気で主張する人たちもいる。国民の税金を支出する以上、国民に利するものである必要があるわけで、そのあたりは「学問の自由」とはき違えてはいけない。そうしたことをやりたければ税金で賄われる組織でなくてもいいわけである。

 そもそもであるが、日本学術会議ってどんな組織なのかと思うが、「国民生活に科学を反映、浸透させることを目的として設立された」とある。その職務は、以下の2つとされる(日本学術会議HPより)。
1. 科学に関する重要事項を審議し、その実現を図ること
2. 科学に関する研究の連絡を図り、その能率を向上させること 

 また、日本学術会議の役割は、主に以下の4つだという。
1. 政府に対する政策提言
2. 国際的な活動
3. 科学者間ネットワークの構築
4. 科学の役割についての世論啓発
問題になりそうなのは、「1」くらいだが、それとて6名を任命したところで(6/105である)影響はなさそうな気がする。であれば、なぜ任命を拒否したのかという理由にますます興味が湧いてくる。

 批判側は、「学問の自由に対する侵害」などとも主張しているが、別に学問はどこででもできるわけであり、それはおかしいだろうと思う。スポンサーを求めるのなら、スポンサーの意向に反することはできないだろう。それに本当に純粋に学問を追求するだけであれば、そもそも黙ってでも任命されるだろうと思う。6名だけ任命されなかったということは、よっぽどそれだけの理由があったに違いないと思う。となると、やっぱりますます任命拒否の理由が知りたくなる。

 菅総理に対しては、任命拒否自体はいいと思うが、是非とも任命拒否の理由を説明してほしいと思う。案外、その理由を聞いたら誰もが納得しそうな気もするし、野党も挙げたこぶしのやり場に困りそうな気もする。ニュースも深堀してみると案外面白いものが見えたりするのかもしれないと、改めて思うのである・・・



【本日の読書】

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