2019年4月19日金曜日

将来のことなんか何とでもなる

知り合いの娘さんは、この春都立高校を卒業したそうである。成績優秀な都立高であり、卒業生のほとんどが大学進学であるが、その娘さんは受験しなかったという。在学中に既に勉強意欲を失い、卒業も「辛うじて」という状況だったという。現在はアルバイトをしていて、進路は「模索中」とのこと。一応、大学へ行こうかという気持ちもあるらしいが、だからと言って勉強をする気は起きないらしい。精神科にも通っているのだとか。

自分の娘だったら、どう対応するだろうかと考えてみた。
「進学したければすればいいし、したくなければしなくてもいい」
まずはそんなところからだろうか。私はもともと「鬱は病気ではない」という考えであるから、精神科に通院するのもいかがかと思う。本人がそれで少しでも楽になると感じるなら別であるが、悩みを抱えて気持ちが塞ぐのは、誰にでもあることである。それを「病気」とするより、しっかりとした考え方を持って克服できるようにしてあげるべきだと思う。

 大学へ進学するのは、時間稼ぎとしてはかなりいい。新しい環境に触れれば友達も増えるし、何かその先のヒントが見つかるかもしれない。私の父は中学を卒業して東京に働きに出てきた。当時は高校以上への進学など(父の故郷では)ごく限られた者のみに許されていたことであった。父も進学の思いを殺して働きに出たのかもしれない。翻って現代は良い時代だと言える。そういう良い環境にあるわけだから、それを生かせばいいと思う。

 それに反してどうしても勉強する気になれず、大学へ行きたくないならそれもいいと思う。別に大学へ行かなくとも今の世の中はどうにでもなる。私も高校時代、ラグビーをやっていた同期のうち2人だけ大学へ行かなかった。卒業直後はどうするんだろうという状態だったが、今では2人ともサラリーマンである我々よりもしっかりと稼いでいる。1人は業界では著名人だし、もう1人は会社社長だ。大学へ進学するよりはるかに優秀な成果を上げている。
 
 世の母親たちがバカみたいに受験、受験と我が子を急き立てているが、結局「安定してはいるがそれだけ」のサラリーマンになるだけとも言える。一流企業に入ったとしても、所詮サラリーマンだ。中には立派に出世する人もいるだろうが、大半はそこそこの地位で終わるのだろう。進学しないとろくでもない人間になる可能性もあるが、一応進学校を出ているような者なら何とかなる可能性の方が高いと思う。その娘さんも何とかなるだろう。

 ただ、一言言うなら、「目の前のことを一生懸命やった方がいい」ということである。さすがにプラプラしているだけで何とかなるほど甘くはないと思う。アルバイトをしているなら、それを一生懸命やることだ。「時給以上に働く」「自分を雇って良かったと思われるように働く」という意識があれば十分だろう。そこから誰かの目に止まったり、縁があったりして次の道が開けていくかもしれない。

 将来が見えない若者時代は、しばし先行きに不安を持つものだと思う。自分もそうであった。精神科に行くほど気を病むその娘さんもそうなのかもしれない。ただ、言ってあげたい。「それは病気ではない」と。「健全な悩みなのだ」と。その経験はいつかきっと役に立つかもしれない。それは自分自身にとってかもしれないし、あとに続く弟かもしれないし、いずれ生まれてくる自分の子供かもしれない。その時、自信をもってその体験を伝えてあげられるはずである。
 
 もともとこの世の誰であろうと安定した道などというものはない。一流企業に入ってもJALのように倒産する例もあるし、大学へ行かなくても高級車に乗れる身分になれる。不安はあっても前に進んでいくしかない。魯迅ではないが、目の前に道はなくとも自分の歩いてきたところが道になるのである。だから今は苦しいことは考えず、自分の目の前の事を一生懸命やればいいと思う。

 「大丈夫」と伝えたいと思うのである・・・





【本日の読書】
 
 
 
 

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