子禽問於子貢曰。夫子至於是邦也。必聞其政。求之與。抑與之與。子貢曰。夫子温良恭儉譲以得之。夫子之求之也。其諸異乎人之求之與。
子禽()、子貢()に問()いて曰()く、夫子()の是()の邦()に至()るや、必()ず其()の政()を聞()く。之()を求()めたるか、抑()之()を与()えたるか。子貢()曰()く、夫子()は温()・良()・恭()・倹()・譲()、以()て之()を得()たり。夫子()の之()を求()むるや、其()れ諸()れ人()の之()を求()むると異()なるか。
【訳】
弟子の子禽が先輩の子貢に問うた、「先生(孔子)はどの邦に行かれても、必ず政治の話がメインテーマになりますが、これは先生から持ち掛けたものでしょうか?それとも先方から持ち掛けられたものでしょうか?」と。
子貢はこれに答えて、「それは、先生がおだやかで・すなおで・うやうやしくて・つつましやかで・へりくだるお人柄であるから、自然に先方から持ち掛けられたのだよ。時には先生の方から話しを持ち掛けることもあるが、それは他の人がやるような自己PRとは全く違っていたね」と。
【訳】
弟子の子禽が先輩の子貢に問うた、「先生(孔子)はどの邦に行かれても、必ず政治の話がメインテーマになりますが、これは先生から持ち掛けたものでしょうか?それとも先方から持ち掛けられたものでしょうか?」と。
子貢はこれに答えて、「それは、先生がおだやかで・すなおで・うやうやしくて・つつましやかで・へりくだるお人柄であるから、自然に先方から持ち掛けられたのだよ。時には先生の方から話しを持ち掛けることもあるが、それは他の人がやるような自己PRとは全く違っていたね」と。
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孔子の弟子同士の会話であるが、孔子はどこへ行ってもその国の政治のことを聞かれるという。それは自らそうするのか、それとも相手から尋ねられるのかと問うているのである。そしてそれに対し、孔子は五つの徳を有しているため、自然とそうなるのだという答えである。もっとも、孔子自身にそうした考えがないわけではないが、それは他の人とは違うものであると付け加えている。
孔子がなぜ訪れる地でその国の政治のことを聞かれたのかと想像してみる。一つには、孔子の説く政治のあり方の評判が良かったこともあるだろう。現代でも我々は、その道に秀でた人にはその道に関して問うものである。プロ野球の選手には野球のこと、有名な経営者には経営のこと。私も孫正義さんにお話を伺う機会があるなら、ぜひ経営に関したことを聞いて見たいと思う。
なぜそうした政治のあり方を解くことができたのかというと、弟子は五つの徳だというが、それだけだったのだろうかと考えてみる。五つの徳とは、「温・良・恭・倹・譲」であり、岩波文庫版の訳によると「温で良で恭々しくて倹しくて譲」だという。確かにこういうイメージの人にはなんでも相談してみたいと思うかもしれない。
それに、やっぱりある程度の(政治に関する)知識もあったろうと思う。例えば経営コンサルタントの大前研一も、専門である経営のことだけでなく、国のあり方や税制や様々な制度のアイデア等々広く語っている。当然、前提となるべき知識があって、だからこそ語る内容に迫力・説得力があるのだと思う。もっとも、孔子の時代はもっと世の中もシンプルであっただろうから、徳だけでもよかったのかもしれない。
何れにしても、意見を求められるということは、徳にしろ知識にしろ人に「意見を聞いてみたい」と思わせるものがあったということであろう。実はここがキモではないかと思う。自分は何かと教え好きな性分があり、聞かれれば持っているものを教えたい、考えを伝えたいという思いがある(でも普段あまりそういうものを求められることはない)。いろいろと失敗を経て身につけたことなど、人の役に立てそうなことは多少なりともあったりするのである。
そういうものを知らしめるためにはどうするべきであろうか。見知らぬ人に広く一般的にというものではなく、身近な人にと考えると、それはやはり日頃の言動かもしれない。日頃何を語り、どんな行動をとるか。それによってそれを見ていた人が、「この人に話を聞いたみたい」と思うのかもしれない。となると、やっぱりそれは知識もあるだろうけども、それ以前に「人間性」という部分も大きいかもしれない。
さらに「人間性」とは何かと問われれば、そこはあまり言葉では説明が難しいところかもしれない。「温で良で恭々しくて倹しくて譲」な人物であれば、それは該当するのかもしれない。となると、やはり孔子が意見を求められたのもそんなところなのかもしれないと思うのである。これから年齢をどんどん経ていくと、体力はますます衰えていく。そうした時に、何を持って誇るかといえば、それは知識であり経験であり徳なのであろう。そういうものを兼ね備えた人に、私はなっていきたいと思うのである・・・
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