軍監島などが世界遺産に登録を勧告されたとニュースで報じられた。それと同時に、その勧告に韓国が「朝鮮人労働者の強制徴用の現場は世界遺産にふさわしくない」と噛みついたとも報じられた。相も変わらずまたかと呆れるばかりである。無視するに限ると個人的には思うが、国としてはそうもいかず、自民党の石破さんは「真摯に対応する」とコメントしている。まぁそうするしかないのだろう。
そんな腹立たしい事態に対し、ネットで、「そんなこと言ったらピラミッドや万里の長城はみんな登録抹消だ」という意見を目にした。なるほど、うまい切り返しだと思う。これに対して、韓国は何と答えるのか興味深い。嫌な相手に対して、こういう切り返しがさらりとできるといいなと、常日頃考えている。
その昔、銀行に就職が決まった際、いつも嫌味を言う叔父に「銀行は人のふんどし(=お金)で相撲を取るけしからん商売だ」と言われたことがある。その叔父はいつもそんな調子で、大学の法学部に入った時には、「医者と弁護士は人の弱みに付け込んで金を取るけしからん輩」と言われたものである。上から目線で世の中を斜に構えて見るところがあったと思う。いつもそんな調子で、また叔父ということもあって我慢するしかなく、気分を害されていたのだがその時は違った。うまく切り返せたのだ。
「そんなこと言っても、世の中みんな人のふんどしで相撲取っているでしょう」
そういう私に、叔父は鼻で笑って、「例えば?」と聞いてきた。そこで私は、「八百屋さんは自分で畑を耕していますか?魚屋さんは自分で魚釣ってきてますか?八百屋さんも魚屋さんも人のふんどしで相撲を取るけしからん輩ってことになりますね」と切り返したのだ。さすがに大銀行は批判できても、小さな八百屋や魚屋は批判できなかったと見え、叔父はむっつり黙ったまま何も言わず、私は心の中で快哉を叫んだ。
逆にうまく返せなかった時もある。銀行に入って初めてのボーナスをもらった時、同じ支店の中年の先輩から、「まだろくに仕事もしてないのにボーナスもらうの?」と嫌味を言われたのだ。「お前にもらったんじゃねえよ」と心の中で反発したが、当時は支店の中ではそんなことが日常茶飯事だった。ストレス溢れる職場環境で、私は毎日のように机の下で拳を握りしめていた。
その時は、我慢するだけで精一杯だったが、後日切り返し方法があったことに気がついた。
「えっ!水野さんの時はボーナスもらえなかったんですか?」と聞き返せばよかったのだ。当然その人(水野さんという名前は残念ながらいまだに覚えている)も新人の時は仕事もせずにボーナスをもらっているのだ。自分のことは棚に上げて、というやつである(あるいは自分もそう言われたのかもしれない)。そう気付いて、なぜそう返せなかったのかと、二度悔しい思いをした。
嫌な奴とは付き合わないで距離を置くに限ると思うが、親戚や職場や友人知人などどうしても距離をおけないこともある。そんな時、いちいちストレスを感じていてはこちらが損だし、いつまでも根に持つのも己の小ささを実感させられて、自己嫌悪感に襲われる。腹の立つ言動があっても変に我慢せず、当意即妙の切り返しで相手に返せたらストレスも感じないだろう。できることなら、そんな風に対応できる自分でありたいと思う。
韓国にも困ったものだが、国としては無視するわけにもいかない。かといって、言いがかりにいちいち青筋立てて反論するのもどうかと思う。ヘイトスピーチなどは、さらにこちらのレベルを下の下に落としてしまう最低の対応だ。レベルの低い国に合わせて、こちらのレベルを下げないようにしないといけない。「真摯に対応」するのは必要だろうが、相手の鼻をぎゃふんと折るスマートな切り返しで対応できたらいいと思う。
個人でもそうありたいと思うし、そうした切り返しが咄嗟にできるには、日頃からそうしたユーモア感覚を磨いておかないといけない。それは自分を磨くことでもあり、人を憎んでいたずらに自分の中に悪いエネルギーを溜めるよりはるかに良い。
そんな自分でいられるように、日々是意識したいと思うのである・・・
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