2014年2月16日日曜日

ブラック企業とは

 舛添さんの勝利に終わった先週末の都知事選。
主要候補の政策を見ていたら、宇都宮けんじさんだけが、「ブラック企業規制条例」の制定を主張していた。以前駅前で共産党が配っていたチラシにも出ていた「ブラック企業規制」。よくよく考えてみると、よくわからない。

 まずはどんな企業がブラック企業なのだろうかと思う。
以前観た映画「ブラック会社に勤めているんだが、もう俺は限界かもしれない」に出てくる中小企業などは典型的な例かもしれない。この映画では下請IT企業が出て来て、殺人的な残業(もちろん残業代はほとんど出ない)の日々に疲弊していく主人公が描かれていた。 
しかし、中には「ユニクロ」や「和民」などという声も聞こえてくる。
そうなると、頭の中は“?”マークだ。
「本当なのだろうか」と。

 ユニクロの柳井社長も、和民の渡邉社長も、本を読んでしかその人となりを知らないが、それでも若者を使い捨てるような経営者には見えない。むしろ自らの経験を振り返って、「若い時の苦労は買ってでもせよ」というタイプに思える。 すると、そのあたりの考え方が、誤解を招いている気もする。勉強でもスポーツでも、ある一定の時期、猛烈な負荷に耐えなければ何かを成し遂げられないという事はある。ユニクロの柳井社長も、和民の渡邉社長もきっとそんな時期を過ごした経験があって、それを求めているのかもしれない。 

 高校時代、ラグビーをやっていた私は、大学に進学してもラグビーを続けたいと思った。それも同好会などではなく、体育会の方でだ。そこで悩ましかったのが、第一志望の国立大学ならいいが、私立の大学に行った場合はどうするかという事だ。たとえば、慶応や早稲田などの名門校になった場合だ。 幸い第一志望に入れたから良かったが、もしも早慶明だったらまず体育会には入らなかっただろう。

 ハードな練習環境がわかっていたし、全国の一流高校から来た選手に交じってやっていく自信などなかったからだ。もしもやるとなれば、大学生活をラグビー一つに絞る覚悟がないとできない。そこまでの覚悟はできなかったし、したくなかったというのが正直なところだ。 覚悟が出来ていれば、ハードな練習にも耐えられただろう。現にそういう選手たちが、試合に出ているのである。

 思うにユニクロや和民で働いていて、「ブラック」と感じるか否かは、この覚悟の違いなのではないだろうか。「ほどほどに働きたい」と思っている人にとっては、たとえ自身の成長に繋がったとしても、ハードな労働環境は耐えがたいと感じるかもしれない。 

 そうすると、何がブラックで何がそうでないのか、を決めるのはますます難しいという事になる。創業直後の若い企業などで、未来を信じて会社に泊まり込んで仕事をしている創業メンバーたちもいるかもしれない。先日読んだ、『GILT』という本では、主人公は見事に過労でダウンしていた。では、そういう企業はブラック企業だと条例で決めて罰するのが正しいのだろうか。 「働かされる」のと「働く」のとでは、同じ働くのでも大きく異なる。それが同じ会社内だったら、どう判別するのだろう。

 単なる人気取りの共産党幹部には、そんな事はわからないだろうし、そもそも共産党に「喜んで働く」などという意味は、わからないのではないかとさえ思える。労働者は常に搾取される立場と考える政党だから、それは仕方ないのかもしれないが・・・  

果たして自分はどうだろうかと考えてみる。
仕事は確かに面白いし、大変ではあるが、苦痛ではない。さりとて、「24時間働こう」とまでの情熱はない。家族との時間や趣味の時間や友人たちと過ごしたり、ボランティアの活動をしたり、スポーツに汗を流したり、と考えていたらとてもそんな覚悟などできない。
それが良いのか悪いのか・・・ 

 ただし、現実的にブラック企業はあるのだろう。
収益力が弱く、従業員を酷使する事でしか存在しえない企業は確かにあると思う。そうした所からは、「辞める」という選択肢をもって対抗するしかないかもしれないし、そうして従業員が離れていけば、そういう会社も自然淘汰されるのかもしれない。そしてそれには、セーフティネットや再雇用など人材の流動性を高める仕組みを整えるのが良いのだろう。

 「ブラック企業規制条例」がどんなものをイメージしているのかわからないが、そんなものではないと思う。いずれ我が子たちも社会へと出ていく。どんなところに勤めるのか、あるいは自分で事業を起こすのかはわからないが、その時何らかのアドバイスができるようではありたいと思う。自らの働き方も含めて、そのあたりは常に関心を持っていたいものである・・・

【今週の読書】
俺のイタリアン、俺のフレンチ―ぶっちぎりで勝つ競争優位性のつくり方 - 坂本 孝







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